私の経験上で言わせていただくと宗教ではスピリチュアルを否定したがります。
(我が家は昔から仏教徒ですが母は多少霊感もあり割とスピリチュアルに興味もあります故、実際にスピリチュアルの話や江原さんの話題を出すとみんなドン引きです

)
自分の所が教えが一番正しいと言った感じで度量の狭さを感じずにいられません(T_T)
その宗教の看板を背負ってるのだったら他の宗教を認めなくても良いですが、
少なくとも否定すべきではないし、逆に否定する事によりその宗教の小ささを自ら証明してしまっているようで、私からしたら背負っているはずの宗教の看板を汚しているようで勿体ないな~と思ってしまいます(汗)
(さきほども書きましたが家は仏教徒なのでキリスト教批判なんかも嫌ってほど聞かされました

)
私は心の性別が中性なので男女間の考え方も中立です。
ですので宗教においてもすべてにおいて中立な立場でありたいし、スピリチュアルの世界でもスピリチュアリズムとニューエイジ思想において中立中庸の意識でありたいと思っています。
どうしてもスピリチュアリストとニューエイジャーではちょっとした対立があります。(もちろんすべての人ではないですよ

比較的多いとの事です)
スピリチュアルの世界に入った人は宗教に嫌気がさしてその道に入った人も少なからず居るわけですが、私はそういった争いを見てると「これ宗教批判とやってる事変わらない」と思ってしまう訳です
スピリチュアリズムでは主にアセンションやレイキなどのヒーリングに関しては否定的な方が多いみたいです。
ニューエイジ思想では「シルバーバーチのような霊的真理の考え方がもはや古い、今はバシャールだ」と言う方々もいます。
私はシルバーバーチを代表とする霊的真理を決して古いとは思っていませんし、バシャールはバシャールでポジティブな存在で良いこと言っていると思っています。
前も書きましたが私の中ではアセンションもあると思っています。
(但し、とんでも説に関しては今でも懐疑的ではあるものの否定はしてません)
そしてニューエイジ思想にあるヒーリングや瞑想によってカルマを帳消しに出来るような記事を見たことがあります。
○○プログラムや○○ヒーリングを受ければカルマ(※1)が消えると。
ただこれに関しては、ん~(汗)完全否定する訳ではありませんがやはりちょっと懐疑的ではあります。
申し訳ないのですがカルマ自体がは消える事はまず無いと私個人的にはそう思っています、はい(^^ゞ
ニューエイジの中では「アセンションしたらカルマもなくなる」と言われてる方もお見受けしまうがちょっと夢を壊すようですが仮にアセンションしたとしてもカルマ自体は消えないと私自身は思っています。
もし仮に肉体アセンションがあるとして、そしてカルマが残された状態でも肉体アセンションが可能である事を前提として話すなら・・・
アセンションに成功してもその次元でカルマを解消することになると私自身はそう思うのです。
仮にもしカルマが消えてしまったとしたら今世に生まれてきた課題さえ
消えてしまうという事であり、過去世で行ってきた悪因悪果すらすべてなかった事になってしまいます。
・・・とま~偉そうに書いて来ましたがこれはあくまで私の持論です
以上のように書いては来ましたが、、、
もしかしたらヒーリングの種類や瞑想の種類によってはカルマは消えるまでは
いかないまでも、多少軽減出来るものももしかしたらあるかもしれません。
私が知らないものもまだまだ存在するかもしれませんからね(^^ゞ
だから完全否定はいたしません。
とりあえず私の考え方はすべてにおいて完全否定はせず、「もしかしたらそれもあるのかも?」というスペースを一旦作り、自分の中にその意見を受け入れてから考える癖をつけています。
この考え方は自分の中の中立性のバランスを維持するのに必要不可欠なものでもあります。
もちろん自分自身の考え方や世界観は絶対正しいと思われている方はそれでも問題ありませんし、それぞれの自由だと思っています。
ですのでそれは皆々様の考え方捉え方でよろしいと思うのです。
ただ私自身としては自分自身の考え方はもちろん持ってはいます。ですが他人の意見を受け入れる余白を全く残さず、いろんな方の意見を拒絶するのは(それはそれで意志が硬く思慮深くてよい事とは思いますが)一歩間違うと頑固になりやすく自分の意見、価値観、世界観から抜け出せない、つまり他の方の意見や了見を聞き入れ受け入れない事には見えない事も世の中たくさん存在すると思うのです。
世の中に〝絶対〟が存在しない限り完全否定は出来ないものと私自身はそう思っています。
私はやはりいろいろ知りたいし、たくさん勉強したいし、なるべく視野を広く持ちたいと常々そう思っています。ですので探究心と好奇心は人一倍ある方ですので、何に関しても一旦受け止め、しかしすべてを鵜呑みにしすぎる訳でもなく自分なりの考えを述べるように心がけています。
例えば、誰と誰が喧嘩したとか、被害者と加害者がいたとしたら私は片一方の意見だけでは結論を出したくありません。
それはどちらにも言い分があるからです。
喧嘩にしては犬も食わないと言いますし、私からしたらどっちもどっち。
事件にしても被害者の意見だけでは真相は分からず、加害者の心理状態やそこまでの経緯なども聴かないとわからない訳です。
そんな訳で私の中で一番怖いのは
〝決めつけ〟だと思っています。
〝常識〟って言葉もあまり好きになれません。
常識と思っている事だって他の人からしたら常識でない事だってある。
〝普通〟って言葉もあまり好きになれません。
一体何からみて普通なのか?普通って一体何?統計論???
正義だって人それぞれ違う。
当たり前と思っている事だって人それぞれ違う。
正しいと思っている事や間違っていると思ってる事だって皆違う。
私は今は亡き村下孝藏という歌手が好きでした。
ここまで私の琴線に触れる歌い手に出逢ったことがなくそれはそれは
衝撃でした。彼の影響でギターも始めました。
そこで私は大学時代、友人に村下孝藏を勧めた所、結構そっけない感想だったのです。
「ま~いい歌手だと思うけど俺は槇原敬之の方が好きだな」
と。
正直ショックでした。
その時までの自分は自分が好きな事や面白いと思った事はみんな
そう思っているに違いないと思い込んでいました。
まだ十代とは言えアホ過ぎると思われるかもしれませんが本当に
そう思い込んでいた私はその時に
「そっか~。みんな違うんだ。好きな基準もキライな基準もみんなそれぞれなんだ。だから自分が好きだからってそれを人に押しつける事は違う事なんだ。だとしたらこの大学の生徒全員、いや日本中の人、いや世界中の人もみんな自分の考え方や価値観はそれぞれなんだ」
と思った瞬間でした。
それから私の中では個人個人、みな違って当たり前という意識に変わりました。
私自身は友人曰く相当変わっている風に見られ学生時代は良くイジメにあいました。でもこんな自分も個性なんだって思った。だからこんな変な自分でもいいんだって思った。
だからみんな違っていいし、違っていて当たり前だと言うこと。
だから意見や考え方だって違っていて当たり前。
だから私は「自分の意見だけが絶対ではない」という意識の上で意見を
述べていますし、そういう考えがこの世界全体の調和へと繋がると思っています。
虚勢でも拒絶でもない。
納得しないまでも理解してあげる余裕が欲しい。
納得や理解が出来なくてもせめて考える事ぐらい出来たなら。。。。
恐らく、宗教戦争やスピリチュアル論争も起こらないものと思っています。
さきほども書いたように宗教に嫌気がさしてスピリチュアルの道へ来た方も少なくありません。
しかし、そのスピリチュアルの世界でも宗教と同じように自分の教えや考えだけが正しいとなるとそれもエゴからくる分離意識を強める危険性があるでしょう。
私達は究極のワンネスへ向けて統合の道を歩まなければなりません。
その為の道筋、すなわちルートは一つではありませんので多少自分とは違った意見や考え方であったとしてもまずは寛大な心で受け入れ、そして非難しないことが大切であると思っています。
いろいろグダグタと生意気ながらにも偉そうな事を書かせていただきました。
ここまで読んでくださり誠にありがとうございます。
という訳でここまで書いてきてなんですが、私の意見も絶対では無いですよ(笑)
そんな訳で私はいつの時代になってもニュートラルな意識を大切にしたいと思っています。
世界が一つになる日を祈っています*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
(※1) 私個人としてはこれは厳密にはカルマの事ではなく、何かしらのブロックの事を言っているのではないかとも思っています。
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