マルセイユタロット、それもカモワン版を学ばれた方なら興味がわかない訳がない、ホドロフスキー監督の映画「リアリティのダンス」
ちょっと怖そうな前評判にびびってか、なかなか腰があがらなかったのですが
や~っと、昨日観てきました。
ネタばれになるので、まだ観てなくてこれから観られる方は、ここから先は読まれないほうがいいかと・・・・
しかも私の勝手な主観も入ってしまいますのでね
目を覆いたくなるような残酷なシーンがいっぱいでてくるにもかかわらず、観終わった後は、しばし呆然、意味不明な涙が浮かんで、その後すっきり! みたいな訳のわからない感想しか浮かんでこなかったのですが
時間が経つにつれて、あのシーンはこのこと、あのこと!
と、私が聞きかじってきた真理や秘儀などがちりばめられている
バタフライ効果に始まって
安易な同情は、相手から仕事を奪い破滅させるという教訓的なことが、あざやかな赤い靴に象徴されていたり
眠りから覚めた男に手紙を読み
もう目覚めたなら、私は一緒にいられない、といって自殺する女性
この女性は自我?
その人が眠っている(目覚めていない)ときには、その人をかいがいしく守り、ひとたび目覚め(覚醒)れば、同居することはできないと・・・
自我の死を現わしているように感じて衝撃的だった。
男が、拷問にあっているとき
ドン・ホセは誰だ!という問いに、あなたの兄弟、あなたの親、あなたの・・・・
とまるで、「私はあなた」というワンネス体験者のようなことを言っている
臆病であることを認めることが、本当の強さ
ピストルで自分の写真を打ち抜くシーン
理想の人も憎き戦うべき相手も、結局は自分の中にある幻想
その象徴的なシーンをみることで、私の中の自我や、幻想も一緒に葬ってもらえるような・・・
そんな癒しともいえる感覚がありました
サラの潜在意識へのアプローチもなんて言ったらいいんでしょ
私が語るには10年早いような
だけど、ちゃんと右脳でキャッチしているような
不思議な映画でした