ファミマの公式サイトを見てしまった。

そしたら、食べてみたくなる物があれもこれもあって、それでも我慢していたんだけれど、とうとうファミマに行ってしまった。

 

購入候補は、

バタービスケットサンド ダブルショコラ

紅茶チーズケーキ

天使のチーズケーキ

宇治抹茶の生チョコタルト

ふわふわケーキオムレット 宇治抹茶

 

どれにしようか迷っちゃうなぁ…

なんて思いながらファミマに行くと、候補の商品のほとんどが置いてなかったw

なので、迷うことなく、ふわふわケーキオムレット 宇治抹茶に決定!

 

(写真はファミマ公式サイトより)

 

原材料

乳等を主要原料とする食品(国内製造)、鶏卵、砂糖、卵白、米粉、小豆かのこ、油脂加工食品、チョコレート(国内製造)、クリーム、抹茶(国内製造)、水飴、澱粉/トレハロース、乳化剤、着色料(クチナシ、紅花黄、カロチン)、膨張剤、糊料(増粘多糖類)、環状オリゴ糖、pH調整剤、カゼインNa、酸化防止剤(V.E)

 

栄養成分

熱量 230 kcal

タンパク質 3.3 g

脂質 14.6 g

糖質 21.1 g

食物繊維 0.7 g

 

これを昼食の主食兼デザートとして食べた。

昼食は、みそ汁(豆腐、わかめ、玉ねぎ、小松菜、しめじ、まいたけ)、サニーレタス、ブロッコリー、トマト、手作りサラダチキン、ニラ玉。

片付けをしてから、コーヒーとともにふわふわケーキオムレット 宇治抹茶を食べた。

このふわふわケーキオムレット、以前にいちごを食べたけど、宇治抹茶も美味しかった。生地がふわふわなのと、クリームたっぷりなのがめっちゃ好み。

そして、宇治抹茶の渋みがちゃんとあって、それがまたいい!

あんこが苦手なわたしとしては、抹茶味のものに必ずあんこ(小豆)がセットになるのが許せないのだが、今回は甘い小豆が少量載っているだけなので許容範囲だった。

 

食後、すぐにウォーキングに出かけた。

 

 

食後1時間半から60分ほどウォーキング。

リブレの動きを見ると、なんだか妙な動きをしている。

ウォーキングを開始する前、食前から20 mg/dlくらいしか血糖値が上がっていない。

そんなことはありえないのに。

ここでまず困惑。

 

そんな状態で歩いたものだから、リブレの値で80 mg/dl近くまで下がった。

これで終わるなら、めちゃくちゃ血糖コントロールが上手くいったことになる。

 

だーけーどー

 

そうは問屋が卸さない。

ダテに「highbloodglucose」を名乗っちゃいないのだ(爆)

 

ウォーキング後にリバウンド。

それも、特大リバウンド。

リブレで164 mg/dlまで上がった。

 

なんでやねん…orz

2回目の困惑。

 

なんとなくだが今までの傾向として、食後血糖値のピークを抑えてやろうと欲をかいて血糖値が上がりきる前にウォーキングを始めると、その後のリバウンドが大きくなる気がする。

つまり、まだ消化吸収があまり進んでいない状態で体を動かしてしまうと、運動中は消化吸収がストップしてしまい、運動を終えてから消化吸収が再開する感じ。

こっちとしては、腸で吸収した糖をダイレクトに運動で筋肉に取り込みたいのに。

 

結局、夕食前も血糖値は高いままだし、あームカつく。

 

夕食後もおかしな動きをして、血糖値が一旦下がってからゆっくりと上がった。

食後2時間でリブレの値では144 mg/dlだったから、「食前は高かったけど、夕食後は優秀だな、よしよし」と思いながらSMBGで測定したら、163 mg/dl。

えぇ…? 思ったのと違う…orz

3回目の困惑。

まあ、食後2時間値180 mg/dl以下を目標にしているから合格なんだけども。

 

ただ、その後のリブレの動きを見ると、SMBGで測定した1時間後が本当のピークだったかも? そして、SMBGとの差を考慮すると、175 mg/dlくらいまで上がってたかも?

4回目の困惑。

 

なんで血糖値の上昇がこんなに遅れたんだ?

別に夕食に変わった物を食べたわけじゃないのに。

夕食は、菜の花のお浸し、わかめともやしの酢の物、しいたけ味噌マヨチーズ焼き、サニーレタス、ブロッコリー、鶏肉ソテー、ヨーグルト(アマニ油・ラカントシロップ)、いちご。

いちごを食べたけど、安かったからかそんなに甘くなかったしw、たくさんは食べてないんだけどなぁ。

そもそも、果物で血糖値が上がる時って、素早く上がって素早く下がることが多いし。

 

ま、考えても分からんもんは分からん。

それにしても、困惑続きの日であった。

 

* * * * *

 

千羽鶴については1か月前にすでにブログ記事にしたのだけど、その後、いろいろ波紋を呼んでいるようだ。

批判するにしても、言い方があると思う。

ひろゆき氏やDaiGo氏の言い方では、余計な反発を生んでしまうだけ。

言いたいことはわたしも一緒なんだけどね。

 

ウクライナへの“千羽鶴”に賛否 寄贈断念も…「無意味」批判の声には疑問

 

 

いや、批判の意味が分かってない…

千羽鶴をウクライナ大使館に送ろうとした人は、

「折り鶴を意味のない行為」と批判する声に疑問を感じています。

「青と黄色の折り鶴を折ることによって、ウクライナの話をしながら、思いを寄せるとか。もし、自分がウクライナにいたら、どうするとか。(話を)広げていくための大切な時間を作る題材となるかなと思うので。そのことは全然、無意味だとは思っていない。一人ひとりの市民が、この現状にNOということが、すごく大事。そこが一番、僕の訴えたかったこと」

と述べているようだけど、批判されているのは千羽鶴を「送る」ことであって、「折る」こと自体はそれほど批判されてないんじゃない?

もちろん、「折る」ことで「ウクライナのために何かをした!」と満足してしまうのであれば、批判の対象になってしまうけども。

 

Yahoo!ニュースでこの記事が配信され公式コメンテーターが投稿されていたんだけど、そのうちの精神科医/産業医である井上智介医師のコメントがよかった。

人間は『何か力になりたいけれど、自分にはどうすることもできない…』という時、自分が何も役に立てない歯がゆい【無力感】に耐えることも求められます。

 

たしかに、その無力感を解消するために、ツルを折りながら平和を祈ることは1つの手法です。しかし、そのツルを相手に送りつけるのはどうでしょうか。どのような場面でも言えますが、本当に相手が求めているのか”ありがた迷惑”になっていないかを、いちど相手の立場に立って考えてみる姿勢も必要でしょう。

 

『相手のために何かしたい』とい気持ちはとても素敵できれいなものです。ただ、その気持ちは折りツルという形ではなくても、届けることができるはずです。

 

一方で、そのような人に正論だけをぶつけるのではなく、相手の立場から生まれる『何とかしたい』という気持ちに共感したうえで”正論”を伝える必要があります。それこそが、相手という人間への配慮と敬意なのです。

要は、単なる自己満足に終わってしまっていないか、一度立ち止まって考えてみよう、ということ。

だけど、千羽鶴が好きな人は、これを自己満足の行為だとは認めたがらないと思う。

純粋に相手のことを思うことのどこが悪いのだ!と。

 

以前、「そこまで言って委員会」に、尼崎の長尾医師が出演したことがあった。

そこで、新型コロナ患者に対してイベルメクチンを処方することについて、産婦人科医の丸田医師と討論になった。

長尾医師は当然のことながらイベルメクチン推しで、なぜ患者に処方しないのか!こんなに効果がある薬なのに!と主張していた。

それに対し、丸田医師は、きちんと科学的にイベルメクチンに効果があるのかどうか調べることが必要で、今のところは効果があるという報告がないことを説明した上で、こんな感じのことを述べた。

 

わたしは産婦人科医をしています。

患者さんの中には、どんなに手を尽くしても助からない場合があります。

そんなときは医師としてとても無力感を覚えて辛い。

でも、どうしようもない。

無力を感じるからと言って、根拠のない治療や薬剤を使うことは、単なる医師の自己満足なんです。

患者のためにできることをした!と、医師が思いたいだけなんです。

 

「医師の自己満足」と言われた長尾医師は言葉に詰まっていた。

 

イベルメクチンについては、一見効いているように見えるから始末が悪い。

長尾医師にとっては、投薬した患者がみんな、重症化せずに治ったというのは真実であり、それがエビデンスだという気持ちなのだろう。

 

だけど、その薬が効いたような気がしても、それは単に「使った、治った、だから効いた」の「3た論法」にしか過ぎないんだよね。

きちんとランダム化比較試験をおこなって、イベルメクチン群が統計的に有意に重症化を予防できたと報告されれば、大手を振って新型コロナの治療薬として使えるようになるんだけれど、なかなかそのような結果が出ないのだ。

 

自分の無力感というのは、耐えがたいものかもしれない。

だから、無力感を埋めようとして、善かれと思うことをしてしまうのかも。

相手にとってどうなのか?よりも、自分の無力感を埋める方を優先してしまう。

善意から始まっているだけに、扱いが難しい問題だと思う。

 

こういう反論されるとね、どうしたもんかね。

 

ひろゆき氏&DaiGo「折り鶴論争」の裏で“気づくべき視点”

 

それら(ブログ主註:ひろゆき氏やDaiGo氏の主張とそれに賛同する声)の意見の中にはニュースの肝心な部分を見落としたまま発信しているケースも目立つ。というのも、今回折り鶴を送ろうとしたのは、埼玉県の障害者就労移行支援施設の利用者で、送り先は東京・港区の在日ウクライナ大使館だったということを知らない人もいたからだ。

「お金を寄付することが難しい人にできることは、千羽鶴を折って送ることしかないのだ。それを批判するとはケシカラン」と言われてしまうと悩ましい。

いや、誰かのことを思いながら、願いを込めて鶴を折ること自体はいいのよ。

出来上がった千羽鶴は施設内に飾って、毎日それを見ながらウクライナの平和を願うなら問題にならないのに、なんでそれをウクライナ大使館に送る必要があるの?という話なんだけども。

なんで送っちゃいけないんだ?と言われるとねぇ…

しかも、日本国内の議論の行方を見て、ウクライナ大使館の方が気を遣って「千羽鶴はありがたく受け取ります」と広報したら、「ほら見たことか!」ってなるんだろうなぁ。

 

千羽鶴を(送ることを)擁護する人たちって、どうも「千羽鶴を送るのは自分の団体だけ」と思いがちな気がする。「1つや2つの千羽鶴くらい、受け取っても迷惑じゃないでしょ。元気が出るでしょ」と。

でも、同じように考える人たちがたくさんいて、送り先が同じだったら、山ほど千羽鶴が届くことになるわけで。

日本全国にある障害者施設が、一斉に千羽鶴を送ったとしたら?

1つ2つだったら嬉しい気持ちになっても、それが10個20個…になったときに、受け取った側がどう感じるかを想像すると、どうだろうね。