ワタクシ的「勉強論」 -31ページ目

ワタクシ的「勉強論」

坂口安吾は言いました。「古いもの、退屈なものは、亡びるか、生まれ変るのが当然だ」
三十代目前…亡びるわけにはいかない…

高校野球は毎年、熱闘甲子園も欠かさず見ている。

今年は、近年にはない面白い試合がたくさんあった。

明日は引き分け再試合だ。

僕は駒大に3連覇して欲しい。

北海道は野球不毛の地だと言われてきた。

晩秋からの雪に覆われたグランドで、どんな練習で自力をつけるのか想像出来ない。

そんな大地からやってきた選手たち。

3連覇して優勝旗を北海道に持ち帰って欲しい。


明日、甲子園で応援しようかな(汗)

スイカが大好きだ

あの食感、味、形、種の歯痒さ…

堪らない!!

友人にスイカが大嫌いな奴がいる。

彼に言わせると、僕は

「虫」

だそうだ。

そうか~!オイラは虫だったのか~。

妙に納得していると、「いや、ツッコムところだから!」

ツッコミのタイミングを逃すぐらい納得した僕に、彼は付け加えた。

「虫って、なんか必死やもんな…」

彼は僕の意を汲んだらしい(笑)

「そうやな(笑)」

隣りにお前が居て良かった

心の中で言った。

虫はしゃべれんしな。
八月十五日

「終戦記念日」である今日は、テレビや新聞で薄っぺらい「反戦番組」が放映される

視聴率が取れる、雑誌が売れるからしょうがない。


でも、今時「戦争=悪」なんて簡単な図式で、見る人間が満足すると思っているのかな?

今日、母上がテレビで「今日は何の日か?」と尋ねられた女性が「?」だった事に腹を立てておられた。

ただマスコミが世論操作してるだけですから

怖いわ(汗)

無知を馬鹿にする作り方をワイドショーはする。

でも、無知は悪なんだろうか?

中学生の時、「知らない」の一言を言うのがイヤだった。

僕も無知は馬鹿だと思っていたからだ。

高校は知り合いが一人もいない所に入学した。

知らない事ばかりだった(汗)

僕は周りの人間に恵まれていた。

「知らない事が当然なのだから、学んでいけばいいじゃないか」

みんながそんなスタンスで僕の周りにいてくれた。

そして、僕は質問出来るようになった。

質問することは非常に難しい。

「自分が何が分からないのか?」
それを他人が分からなければ、質問にならないからだ

無知を恐れてたら、質問の難しさなんかに気付かなかった。
過去を変えたいと誰しも思うはずだ。

僕はネガティブな人間だから、ちょっと嫌な事があると後悔の念に捕われる(汗)

「タイム・マシン」という作品が二十世紀に著された。

正に夢のような機械。

くだらない失敗、後もう一歩で諦めてしまった事、変えたい過去はたくさんある。

それらを未来の僕が思う通りに変えてしまう。

そうすれば、完璧に満足した人生を過ごせる。

はて?

「未来の僕が過去を変えてしまう」ということは、未来そのものが変わるということ。

っということは、「過去を変えたいと思った未来の僕」は「その過去に全く興味のない僕」になるということ。

じぁ~誰がその出来事を変えたのだろう?

無限に連鎖する矛盾。

この矛盾の糸のホツレを解かない限り、タイムマシンで過去や未来は変えられないことになる。

HGウェルズはそんな感じで「タイムマシン」を記していた。

なんて溜め息のでる話なんだ。

はぁ~変えられないか…
不思議な体験をしたことがある。

高校の就学旅行で訪れた沖縄で、ひめゆりの塔に行った時のことだ。

洞窟の中には所狭しと戦死された女学生の写真が飾られていた。

正直、見るのが辛くて恐ろしかった。

そして、バックに流れるたくさんの女性が歌う賛美歌のような音楽が、心に深く残った。

合掌して、展示を後にしてから、友人にバックの不思議な音楽について聞いてみた。

友人は怪訝な顔をして答えた

「音楽なんて流れてなかったよ」

あの不思議な音楽は何だったのか?

八月になると、この体験をいつも思い出す。

他人に話すと、怪談話になるはずなのだが、話し終わると怖いというより、なんか不思議な雰囲気になる(話し方に問題があるかもしれないが)

ただ、僕には非常に意味ある体験だ。

毎年、それが切っ掛けで戦争について考えたり、意識したりするのだから。

十月に少し休みが取れる。

海外は難しいけど、沖縄ならいけるかもしれない。

実現したら、必ずひめゆりの塔に行こう。

真偽を確かめるのも目的の一つだけど、あの時、怖くて目を背けた写真や遺品をじっくり眺めたいからだ。

その時、何を思うのかな?僕は
「生きるか死ぬかそれが問題だ」

相反する言葉を並べると、なんとなく言葉の重みが増す。

そういう脚色は古来から使われ、人間を鼓舞したり、虐げたりしてきた。

でも、翻ってどうだろう?

人間は曖昧を好むように感じる。

森達也の作品を見たのは、曖昧な事を嫌っていた時だった。

その頃、僕は自分のどっち付かずさに嫌気がさして、自己嫌悪になっていた。

やらなければいけない事がたくさんあるのに、迷う、立ち止まる。

そして、時間だけが過ぎて行く。

僕は本や映画に救いを求めた。

僕のような人間が迷い、もがきながらも歩みだす。

そんな作品を見て救われた気になっていたのだ(汗)

そんな時、森達也の「A」「A2」を見た。

内容もさることながら、作者の姿勢に衝撃を受けた。

「あなたが信じてる事が正しいかどうか知らない。でも、信じたくない事に目をつむるのは止めないか?」

そう言われた気がした。

僕は弱くて狡猾な人間だ。

信じたくないが事実だ(笑)

すんなりは受け入れられない事実がある。

でも、そういうズレを認めることから始めよう。

あの時、そう思えて良かったと思う。

感謝
「親父のボクシングを証明出来て良かった」

物凄いプレッシャーの中、自分の試合の出来を謝り、父親に感謝した男

「亀田興毅」

ボクシングの試合で泣かされたよ(ToT)

女に告白しようとした。


失敗した。


それも、何も言わずに。


あ~なんて情けないんだ。


こうなると運命なんだとしか思えない。


彼女と僕は縁がなかった。


↑「はい!言い訳」




本題


「武士道とは死ぬこととみつけたり」(葉隠)


子供の時、この言葉を聞いて「??」っとなった。




「死ぬことを常に意識するからこそ、一瞬を生きることに一生を懸けられる」


今はそう考えている。



「出口のない海」(横山秀夫)を読んだ。


人間魚雷「回天」が主題の物語だ。



日本は侵略戦争をした。


小学校でそう教わった。


でも、その場で戦った人間は、そんな風に思って戦ったのだろうか?


・・・・僕はそう思えない。



イスラエルとパレスチナがお互い罵り合い、殺しあっている。


なぜいがみ合うのか?


答えなんか知りたくもない。



僕の大切な家族が、愛する人が、友達が、自分にとって無為に思える理由で殺されるとしたら・・・・。


僕は彼らを守りたい。


そして、もし彼らを失ったら、その怒りを誰かにぶつけずにはいられない。



「死ぬことを常に意識するからこそ、一瞬を生きることに一生を懸けられる」


こんな境地に人が立てるなら、みんなキリストや釈迦になれる



最近、盛んに叫ばれる「愛国心」


でも、僕は、国のために何かしようと「毛」ほども思わない。


僕は国なんて愛してない。


そこに生きている「大切な人」を愛している。



死ぬことが前提の兵器。


それに乗り込む人間は何を思ったのか?


皆、死んだのだから分からない。



でも、僕はこう思いたい。


「殺す相手を憎しみながら死んだ人なんて一人もいない。 皆、愛する人を思いながら死んだんだ」



戦わずして負ける。

今回もそうだった。

戦いのリングにも上がらずに、僕の足はすくんで動かなかったのだ。

一番カッコ悪い。

一番忌むべき行為。

自分が蚊帳の外なら、他人になんだって偉そうに言える。

でも、当人になると、この情けない臆病者。

以前、スパーリングを初めてさせてもらった。

自分でも驚くくらい、僕は興奮し、その力を相手にぶつけた。

結果は、軽くいなされ、ボコボコにされた(笑)

でも、物凄く気持ち良かった。

トレーナーに「お前のはボクシングやない、ただの喧嘩や」と笑われた。

でも、トレーナーの笑いは嘲笑ではなかった。

それも僕は嬉しかった。

「戦う君の歌を戦わない奴等が笑うだろう」

中島みゆきが歌った。

僕は強くなりたい
身も心も。

さぁ~どうする?

俺?
「ぼ~っとしていたら、時間なんか見る間に過ぎて、何もかもなくなってしまう」

振り返ると、自分が何もしてないような気がする。

その時、必ずこの言葉を思い出すようにしている。

今日は勝負だ!