日本語の源流(半年ぶり?) | Ponと気まぐれ釣り日記

Ponと気まぐれ釣り日記

釣りジャンルはヘラブナ、汽水ルアー、磯ルアー、バス釣り、フライでトラウト、その他釣りなどです。
古代史、古代語、哲学コーナーも追加しました。

明治以来、日本語祖語を求める学究

や在野の研究は多々あった。

アルタイ語族、ウラル語、テュルク語

モン・クメール、オーストロネシア語、

古朝鮮語、満州語や沿海ツングース語、

ドラビダ語(タミル語)、和語に近しい

アイヌ語や琉球語などなど。

なかなか一元的な祖語は見つからないが

それもそのはずで、この数万年の間には

複数の移民の波が日本列島に到っており

それら各移民の各言語が積層し変化して

日本語を構成しているために、韻律対応

や基本語彙の対応、文法や文型の対応、

助詞の対応など、押し並べて対応関係を

満足する一つの外在言語が見当たらない

という当然の帰結となるからであろう。


最近の分子生物学の成果としてDNA分析

によるヒトの移動の推察が可能となり、

日本列島への各方面からのヒトの移入の

概要も解りつつあり、日本列島において

言語が重層的に構築されてきたであろう

ことを想像することは容易、あるいは、

安易ではあるが、そうは言ってみた所で

具体的にどう言語が積層し変化したのか

数多の単語や語法について「具体的に」

解明するのは決して容易でないだろう。

というのは、日本語の基底を成す主要な

要素の構築は、文字時代以前に既に概ね

出来上がっていたように上代の和語から

遡り推察され得るからだ。文字以前の

時代の言語を推察するのであるから、

当然「物証(=文字記録)」には期待

できず、ある種の合理的で客観的に

妥当性が確認可能な「手法」が必要と

なるが、従来、比較較言語学等のシス

テマティックな「手法」により日本語

祖語が充分に把握できてはいない。

その困難さの主な要因として、経時的な

重層化の壁があるということを具体的に

示すのが今回試論の主眼である。


言語重層化の例として、極簡単な例は、

いわゆる「重箱読み」や、外来語語尾に

「す」や「めく」等を付して複合動詞を

作るというような異言語の単語同士での

複合語作成であろう。

しかし、その程度の並列型であれば積層

と言う必要はないだろう。

しかしこれが多少複雑になると、例えば

以下のような例を拙論として最近考えた

のだが、恐らくこの程度の重層化でも、

従来の定型的な比較言語学では全く歯が

立たず分析不能であろう。


(試論)

現代日本語にも健在な「腹(ハラ)」と

いう一語の語源を考察。

古代倭語といくつかの語彙を共有する

各言語を参照する。

腹部を表すであろう古倭語は、古事記で

高天原で天照大神が須佐之男尊と対峙を

する場面に現れている。

〜そびらには千入の靱を負ひ、ひらには

五百入の靱を附け(講談社学術文庫)〜

とあり、「そびら」は「背平」と解釈、

一方で「ひら」は「脇腹の意であろうが

明らかではない」とされてはいる。

ソビラという複合語が可能であるのは、

アイヌ語および古朝鮮語で崖地形を表す

「ピラ」と同根の単語が太古の倭語にも

存在していたであろうことを示唆してお

り、他に記紀神話に「黄泉平坂」(崖状

に切立った境)、より一般的には後世の

「扉」トビラも「垂直(崖状)に立った

平面」を表し一貫している。

また、後の「縁(ヘリ)」という倭語も

この「崖(ピラ)」の母音交替形の同根

語、類語と考えられている。

これらから類推し、上述の「ひら」は

脇腹よりは平面である正面腹部を表すと

解するべきであろう。

まとめると、八世紀以前には正面腹部を 

「ひら」と呼ぶ言い方が倭語にはあり、

それは古朝鮮語やアイヌ語の崖(ピラ)

にも通じる一語であった可能性がある、

ということである。

一方で、現代のアイヌ語では腹部を表す

語は「ホニ、ホニへ」であり、こちらは

「ハラ」には程遠い。

これらから、太古の本州以西の倭語は、

アイヌ語や古朝鮮語と接触はあるが、

同言語の関係よりはアイヌ語や古朝鮮語

を外来語的に取り入れ多少意味を違えて

転用するような関係にあった可能性が

高いように推察される。

一方で、太古の西日本に到達していた

可能性があるオーストロネシア語だが、

残念ながら古オーストロネシア語を知る

術を私は持たず止むを得ないため、太古

日本列島に渡来した可能性が高い代表的

な南洋語のインドネシア語≒マレー語の現代語で翻訳を参照すると、「腹」は

「perut」であり、日本語「ハラ」に

発音が非常に近い。

また視点を変えて古朝鮮語から見ると、「腹」は「peri」であり倭語ハラと同根

と推察されている(岩波古語辞典)。

一方、現代ハングルでは「腹 bæ」。

ただし、注意を要するのは、ハングル、

インドネシア語とも、日本語に訳した

場合、最適な一語は「胃」になる。

一方で、一般的日本語において「下腹

(したはら)という語はあるが「上腹

(うわはら)」という語はない。

(競走馬業界用語では上腹はあるが、

人には用いない。)

まとめると、腹部を表す単語は、古代

倭語で「ハラ」であり、古朝鮮語や現代

インドネシア語と非常に近いが、腹部の

指す場所が(現代語で比較した場合に)

明確に違うということになる。日本語で

「胃」を含めた腹部は「おなか」即ち

「な(中)」であり、母音交替する前は

「nö(の〜ぬ)」であった。(飲む、のど等に残る。)この「の、ぬ」は恐らくは高句麗地域で国や地域を表す語として

記録に現れる「奴」であろうし、それが

倭語では「中ナ、内ナィ、野ノ、那ナ」

のような語になったのであろう。


さらに古代以来の倭語〜日本語を見ると

「腹」が「血族」や「実の親子」など、

出生・出産に基づく血縁関係を表す語

としても存在し、「母子関係」に限らず

「父子関係」にも適用されるため、元は同族や出自を表す古代日朝共通語「族(カラ)」が音類似による連想と混同で

倭語において「腹」にカラの一部意味が

移転したか、あるいは元は非朝鮮語系の

西日本倭語話者により「khara→hara」

と発音が変わった(訛った)可能性も

あるように思われる。


以上から経時的変化の推察を纒めると、

古く北海道方面から到った東日本寄りの

縄文語〜弥生語では腹部を「ホニ」等と

言っていたが、西寄りの太古日本では、

胃を表す腹部を「perutに近い言葉」で

表し、片や外形的な腹部を言う場合は、

崖を表す「ピラ」を転用し、言い分けて

いたか、当初言い分けたperut(胃)は

音が近いピラ(腹の平面)に同化されて

ピラに吸収されていた(記紀神話当時のの九州北部倭語を想定。古朝鮮語periは

南洋語まで同根かアイヌ語ピラ同根か、

具体的な記録やより広い語彙での言語間

比較無しに真相解明が不可能なほど音が近い。)


更に時代が降り(弥生時代後期?〜古墳時代初め?)、高句麗地域にあった諸民族から日本列島に移民した民族が現れ、

彼らが「ヌ゙(〜ノ)」という一語により

胃〜内蔵を表したためにこの語に置き代わり、ピラはフィ(ヒ)ラと子音が時代変遷しつつ、倭語内部に残っていたが、

族(カラ)から一部の意味(ただし、領有と統治の権限継承を行うようになった

氏族社会となり、血縁関係の持つ意味の

重要度が格段に上がった)が分岐した「腹(ハラ)」が「(腹)ヒラ」に置き

換わり、一方で早くも既に「呑む」や

「のど」、「中ナカ」、「野ノ」等の

新たな複合語を作りつつ倭語にしっかり

根を下ろしていた「ヌ゙」は「おなか」と

いう言い方で消化器系の腹を表す一語と

なった。

そのため、「ノ」+「ム(実)」は

「呑む(ノに実が入る)」意味となり、

「ハラ」+「ム(身)」は受胎を表す

一語となり、意味が大きく異なる結果

となった。


上の試論が正しいと決めつけませんが

ハラという一語ですら最低3、4言語

で幾分関係しそうな複数の語の関係を

整理しないと最低限の試論も出来ない

という重層性が解ると思われます。

こうした重層性が、従来の比較言語学

の手法では、祖語を探す際にノイズの

方がドミナントになり決定打に欠ける

原因だろうという切り口を表面化させ

るための試論です。


(以上概要のみ、時系列など細部検証や各言語詳細比較は未実施の初期試論2024年03月18日rev.0)