$HIGH-HOPES管理人のひとりごと(洋楽ロック)

デヴィッド・ボウイ新作『THE NEXT DAY』のレコーディングに参加した、ドラマーのザック・アルフォードがローリングストーン誌のインタビューに答えました。曲の内容がさらに明らかになって面白いインタビューです。ちなみに彼は1992年~のブルース・スプリングスティーンのツアーにも同行。レコーディングにも参加してます(ブルースネタもあったので、それは追って)

http://www.rollingstone.com/music/news/david-bowie-likes-the-struggle-of-winning-fans-says-drummer-zack-alford-20130201
(ローリング・ストーン誌 2013年2月1日号)

ザック・アルフォード、『ザ・ネクスト・デイ』のレコーディング・セッションについて語る
「ボウイはファンを獲得するための奮闘を楽しんでいる」


この1年半、ドラマーのザカリー(ザック)・アルフォードはデヴィッド・ボウイの新作に参加しているという秘密を抱えて暮らすことを余儀なくされた。
「拷問だったよ。みんな『デヴィッドはどうしてる?』なんて訊くのに、『知っていたらなぁ』と言わなければならなかったんだから」

ようやく箝口令が解かれた彼が、『ザ・ネクスト・デイ』のレコーディング・セッションについて、そして1992-93年に在籍していたブルース・スプリングスティーンの「もう一つのバンド」について語ってくれた。

ボウイの新作の話を初めて聞いたのは?

「デヴィッドからメールが来て、2011年5月の第1週と2週が空いているか訊かれたんだ。青天の霹靂だったよ。メールで連絡はとっていたけれど、仕事の話は一切出なかったんだから。」

最初の反応は?

「イエス、と答えた。運良く空いていて本当に良かったと思ったよ。でも何の話かは分からなかった。まあ何であろうと請けるけどね。」

予定だけ訊いて新作の話はしてこなかったと。

「どこで何をやるかすら言わなかったからね。(ベースの)ゲイル(・アン・ドーシー)と「そっちにも連絡あった?」「あった」「何の話で?」「知らない」なんて話していたよ。ライヴなのかレコーディングなのかも分からなかった。1週間くらい前になって初めて「この日このスタジオに来てくれ」と話があったんだ。そうしたら何故かその話が漏れてしまった。」

とは?

「デヴィッドから「こういう名前のフォトグラファーを知っているか」とメールがあったんだ。すぐには思い出せなかったから「いや」と答えた。知らなくて良かったよ。どうやらそいつがデヴィッドのオフィスに電話して、スタジオでデヴィッドを撮りたいと言ってきたようなんだ。スタッフは「えっ?セッションがあるなんて誰に聞いたんだ?」という感じだった。スタジオの誰かから漏れたんだな。その後メールが来て「予定を変更してマジック・ショップ(・スタジオ)でやる」と書いてあったよ。」

ボウイが新作を作ると聞いて驚かれましたか。

「ついに現役復帰するんだとほっとしたね。俺に連絡をくれたことにもほっとしたよ。」

レコーディングの初日について聞かせてください。

「何もかもが事務的だったね。それ以前に何も聴かせてもらえなかったんだ。彼が音が漏れるのを望まなかったからね。ただスタジオに行っただけさ。あまり話し合いもなくて「はい、これが1曲目」みたいな感じだね。大抵は自宅で作った、ドラム・マシーンとシンセだけのデモを聴かせてくれる。あとはリハーサル・デモだね。2010年11月の最初のデモのときにいくつか素材をリハーサルしたみたいだったから。両方聴いたらすぐに演奏を始めたんだ。」

メンバーはゲイル・ジェリー・レナードとデヴィッドですか。

「そう。デヴィッド・トーン。5月第1週のときはギタリストがデヴィッド・トーンとジェリー・レナードの両方いたんだ。ゲイルはベースを弾いて、デヴィッドはシンセとアコースティック・ギターとピアノを曲によって使い分けていた。曲を聴いている間にジェリーが譜面を配ってくれたからそれを見ながら聴いて、必要なときはそこにメモを取った。2-3回聴いてから演奏に入ったかな。」

セッションについては一切口外するなと言われたでしょう。

「勿論。全員箝口令にサインさせられたよ。」

家族くらいには話したのでは?

「妻と子供には話した。うちの子はホーム・スクーリングで育てているから、子供が学校で言いふらす心配は無用だったよ。」

このご時世に話が漏れなかったというのはすごいことですね。

そうだね。プライバシーの価値を真に証明するものだと思う。プロモーションもゼロだからね。彼が何も語らないということ自体がアルバムのプロモーションになっているようなものだよ。

10年間も沈黙を守ってきた彼は本当にミステリアスな人物と化しています。まるで幽霊のようです。その状態を手放すのに気が進まないというのは解る気がします。

「このご時世は人が注目するものを見せることが難しいからね。実際に何も与えないことでもっと知りたいと思わせるんだ。」

アルバムの他の曲はシングルと全然違うそうですね。

「そうだよ。アップ・テンポの曲がたくさんあるね。60年代のドゥーワップ風のものもある。ただ、曲のことはあまり憶えていないんだ。今年の5月でレコーディングから2年になるからね。あれ以来音は一切聴いていないんだ。もうすぐ自分も聴けるといいんだけど。」

アルバム制作には計3週間しか関わっていないと。

「そう。」

レコーディングの日は通常どんな感じに進みましたか。

「通勤するような感じだったね。自分はもうマンハッタンに住んでいないけどそこで育っているから、自分にとってはとても楽しかったよ。いい形で戻ってこられたと思う。いつもソーホーを歩いてマジック・ショップに向かうんだ。到着するのは大体10時半頃。デヴィッドは大抵既に来ていて、コントロール・ルームでギターをかき鳴らしていたりする。全員揃うとデヴィッドも加わってコーヒーを飲むんだ。そうすると彼がデモをかける。ジェリーが楽譜を配って、俺たちがメモを取って、2-3回も聴くとデヴィッドが「みんな、いいかい?」と訊く。俺たちは「ああ」と答えて、それから演奏が始まるんだ。2-3テイクしかやらなかったな。そうすると彼が「これで決まりか、決まらないかだな」なんて言うんだ。
あるときはもう一度やってみても彼が満足しなくて、次に行きたいと言い出した。1つの曲がパーフェクトになるまで色々やるよりも、勢いを持続させることを望むタイプなんだ。
だから最初の曲をやって、それからランチ休憩を取って、…同じ方法の繰り返しだね。他の曲を聴いて、メモを取って、スタジオに入って…通常は5-6時には終わっていたね。」


大体1曲につき何テイクくらい録ったと思われますか。

「どの曲も2-5テイクくらいかな。」

それはあなたの経験上少ないほうですか。

「少ないね。短い時間にたくさんのテイクを録ることもできるから。みんなリハーサルだからね。今までは「3番目のテイクを聴いてみよう。あれが一番良かった」と俺が言っても「いや、あれは6番目だ」と言われたセッションが数え切れないほどあった。何回やったか忘れてしまうんだ。だから今回はかなり回数が少なかったね。1テイクしかやらなかった時も何度かあった。」

ドゥーワップ風の曲があるとのことですが、アール・スリックによるとローリング・ストーンズ風の曲もあるとか。他の曲はどんなサウンドですか。

「スケアリー・モンスターズ」時代を彷彿とさせる、アグレッシヴで尖った曲がいくつかあったから、それらはそういう風にアプローチしたね。自分の中にあるボウイのサウンドのイメージに近づけるような感じだな。
ストレートなカントリー・ソングもある。あとはブルースのリフに基づいてできた曲があったけど、ブルースみたいな音にはするなと言われた。ボ・ディドリー的な雰囲気の曲が2つあったけど、自分的には「デトロイトでのパニック」(Panic In Detroit)(注:『アラジン・セイン』に収録)みたいなサウンドにしたくなかったから気が進まなかった。


曲のタイトルは憶えていますか。

「変わったんだ。当初から変わらなかったのは「ザ・スターズ(・アー・アウト・トゥナイト)」くらいかな。あと「ヤ・ヤ」という曲があったような。」

なかったと思います。

「「ボス・オブ・ミー」というのがあったのは憶えている。ベースはトニー・レヴィンだった。「何だかファンキーだな。あいつが(チャップマン・)スティックで弾いたらカッコいいだろう」と思ってそう提案してみたけど、トニーは食指が動かなかったんだ。コード・チェンジが多い曲だったからね。あいつはコード・チェンジをスティックでやるのが好きじゃないけど、みんな弾けばいいのにと思っていた。あの曲は「ビッグ・タイム」時代のピーター・ガブリエルみたいなサウンドだったね。」

全部で何曲取り組まれたのですか。

「24曲。」

アルバムには17曲しか入っていませんが、今回お蔵入りになった曲が日の目を見ることはあるのでしょうか。もう1枚のアルバムとか。

「そうだね。曲はいっぱいあるから。中には『ロジャー』の作り残しの曲もあった。確か「ボーン・イン・ア・UFO」という曲だったと思うけど、そんなタイトルはアルバムには載っていなかったね。タイトルが変わったのかも知れない。」

ライヴの可能性についてデヴィッドは触れていましたか。

「確か最初の2週間が終わったときだったと思う。俺がプロモーションをやれるか訊かれたんだ。「勿論!」と答えたけど、あれは2011年だったからね。」

「プロモーション」というのはどこかでライヴをやるという意味ですか。

「そうだろうと思ったよ。」

少なくともテレビ出演などは考えていたのでしょうね。ただ、彼は一切活動しないという意見がほとんどですが。

「彼が心変わりしてくれるといいと思うね。セッション以来個人的には話していないんだ。ネットには彼がもう演奏活動はしないと言ったと出ているけど、心変わりしてくれることを願っているよ。本当に演奏活動を辞めたのなら驚くね。」

その理由は?

「曲ができてとてもエキサイトしているように見えたし、一緒にツアーした経験からも、彼がパフォーマンスが好きだということを知っているからね。」

あなたがボウイとツアーしたのは1995年、ナイン・インチ・ネイルズとツアーしたときでしたね。ボウイの音楽をあまり知らないNINファンの前でプレイするのは大変だったでしょう。

「全くその通りだよ。しかもこっちは初めて組むメンバー同士のバンドだったし、向こうは「ダウンワード・スパイラル」ツアーの後だったからね。NINは極めて順調だったから、彼らの後をついていきながら自分たちの居場所を見つけるのが大変だった。しかもオーディエンスはハードコア。デヴィッドの音を聴かずに去るやつらもいれば、とても気に入ってくれたやつらもいた。新曲に加えて昔の曲もたくさんプレイしたよ。」

でも「アンディ・ウォーホル」や「ティーンエイジ・ワイルドライフ」のようなあまり知られていない曲をやったのですよね。

「その通り。それまで彼がライヴでやったことのなかった曲もやったよ。」

「ジギー・スターダスト」や「愛しき反抗」(Rebel Rebel)をやればずっと楽だったのに、自分で困難な道を選んだのですね。

「彼は奮闘してオーディエンスの心を勝ち取るのが好きなんだ。「レッツ・ダンス」であれだけ名声を得てからティン・マシーンに走ったのも同じ理由だった。」

■DAVID BOWIE『THE NEXT DAY』
デヴィッド・ボウイ/ザ・ネクスト・デイ
★日本盤ボーナストラック収録決定!
曲目など詳しくは
DAVID BOWIE日本公式サイト
http://davidbowie.jp