今から15年ほど前、私がある進学塾に勤めているときであった。
知る人ぞ知る、ある有名なカリスマ古文講師のことが話題にあがった。
しかし、その進学塾で切れ者として知られるある国語の講師はこう言った。
講師:「奴の授業、論理的じゃない!」
おそらく多少の嫉妬心やライバル心も混じっていたであろう。
そのとき、その場にいたある高校生の一言が、当時の私には非常に衝撃的であった、、
生徒:「論理的じゃなくて、いいんですよ。」
ちなみにその生徒は偏差値65程度の進学校の高校2年生。
決して勉強ができない生徒ではない。
(授業が論理的でなくてよいとはどういう意味だろう?)
私は懸命になって、その真意を考えてみた。
普通、真面目な講師(先生)はこう考える。
(正確な知識を伝え、論理的な授業をして、生徒にしっかりとした学力をつけてもらいたい。)
講師(先生)として至極真っ当な考え方だと思う。
ところが、生徒の身になると異なる場合が多々あるのだ。
(別に将来、その科目の先生になるわけでもないし、正確な知識や論理なんて別にそんなに求めていない、、、
多少邪道的な方法だろうが、何だろうがわかりやすい授業で入試さえ突破できればいいんだ。)
どうだろうか?
多分、図星だろう。
自分だって、生徒の立場ならそう思うかもしれない。
実はここに生徒の立場になった授業の大きなヒントが潜んでいるのだ。
例えば、自分の専門である大学受験英語で考えてみる。
授業予習の段階で、、
「こんな英文、簡単、簡単、、多義語のこの英単語がキーでこういう意味で、、、
そして、最大ポイントはこの文構造に気づくかがだ。これをキッチリ解説してやるぜ!」
などと考えて授業をするのだが、生徒の反応は今ひとつ、、
正確な知識を伝授して何の問題もないはずだが、、
生徒の立場になれば違うんだ。
普通の生徒は、その単語の意味まず知らない。
文構造も見抜けない。
それでも何とか解答して正解にたどり着かないといけない。
そのテクニックをプロ講師には求めているんだよ。
単語の意味も文法も構文も高校生にもなれば自分で調べればわかることだ。
今の時代、塾予備校で生授業を受けるからには、”参考書や映像授業では得られない何か” を生徒は求めている。
僕は時々こう考える。
「この英単語の意味がわからない。この文構造にも気づかないとして、それでも何とかしてこの問題を解く方法はないだろうか?」
知識を得るための勉強はもちろん必要だが、いくら勉強しても完璧になることはない。
一定の知識をもとに、あとは自分の頭で懸命に考えて正解(に近いもの)に何とかたどり着く。
勉強に限らず社会に出ても求められるのは、そういった地頭の訓練だと思う。
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