「料理の極意」などとたいそうなタイトルだが、ようはどうしたら料理が上手くなるかということ。

一応主夫なので、ほぼ、毎日料理をするが、レパートリーが限られているのでマンネリ化が著しい。
イギリスの田舎なので、手に入る食材にも限界がある(といいつつ、かなり言い訳がましいと思う)。

本やネットのレシピで料理するというのもたまにやるけれど、いつもとなると、面倒で長続きしないので、
これもほどほどにとどめている。毎日料理している割には、上手くなった気がしない。これ、辛い。

で、料理をしていていつも思い出すのは、友人の奥さんで以前エスニック料理店で
働いたこともあるMちゃん。友人宅で飲み、そのまま雑魚寝、翌日二日酔いの朝を迎えるのだが、
二日酔いをものともせず、冷蔵庫のあまりものから次々とくり出される料理は感動的だった。
分量適当、かなり雑な感じで、がんがん料理していくんだが、出てきた料理はおいしかった。

それから、先輩のIさん。彼の作る海産系料理、特にかつおのたたきは絶品だった。
この人も作る時は、かなり適当な感じ。あるものを上手く活かして、美味しい料理に仕上げてしまう。

なぜ、こういうことが出来るのだろうか。慣れ?センス?才能?・・・・。

そう、自分もああなりたいんです。「料理の極意」、誰か教えてください。



私の好きな指揮者にカルロ・マリア・ジュリーニという人がいる(故人)。イタリア人である。先日、彼がシカゴ交響楽団と1970年代に録音した演奏を集めた4枚組みのCDを購入した。いろいろ入っているのだが、とりあえずブルックナーの交響曲第9番を聞いてみた。これは大昔、レコードで持っていたものと同じ録音だと思う。

しっかりした、いい演奏である。彼の晩年の比較的ゆったりとした音楽作りとはちょっと違って、よく謳うが、がっちりとして引き締まった、隙のない演奏。だが、なぜか、なんとなくつまらない。とても立派な演奏なのだが、いまひとつ迫ってくるものがない、琴線に触れてくるものが少ないといったらよいだろうか。

勿論、私の感性の問題(限界?)であることも大いにありうる。それはとりあえず棚に上げて、他の指揮者の演奏と比べてみた。いちいち羅列しないが5つくらいと比べてみた。全曲はしんどいので、第一楽章の最初から第2主題の中間くらいまで。当たり前だが、それぞれに個性があり、一長一短あり、なかには、なんだこの鳴らし方はみたいのもあり、なかなか楽しめた。

そして、ジュリーニの演奏に戻った。まことに均整のとれた、きちんとした演奏。そう、「楷書体」なのだ。それもとびきり、線がきれいで引き締まった、格好の良い。ただ、あまりにも整いすぎているといったらいいすぎだろうか。また、シカゴという世界屈指のオケが、この格好の良さをさらに助長している。

ここで思い出したのが同じイタリアのピアニストのポリーニ。完璧なテクニックをもって明晰でブリリアントな演奏をする人である。ただ、時として退屈に感じることがある。特に彼のショパン。やはり、楷書体なのである。完璧な演奏なんだが、どうもおもしろくない。ゆれ、ゆらぎ、ぶれ、ずれ、みたいな「雑味」が取り除かれ、隅々までコントロールしつくされたといった趣で、これはこれで凄いことなのだが、聴いていてどうかといわれると?ということがある。

同じイタリア系の指揮者、アバドにも似た傾向を見ることがあるのだが、どうだろう。この、知的イタリア系音楽家の系譜(そもそも、そういう言い方が適切なのかも含めて)、どなかたか詳しい方、教えてください。
FXをしている部屋の窓からセカンダリースクール(中・高校)のかなり広い校庭が見える。今日はどしゃぶりの雨。子供も声がするのでまさかと思って窓の外を見たら、子供たちがラグビーをしている。

イギリス発祥のスポーツはどんな天候でもするらしいが、学校の授業でどしゃぶりの雨の中、ラグビーをしているのには驚いた。そして、こうして彼らの寒さに対する強靭な皮膚感覚がつくられていくんだな、と妙に納得した。

雨をものともしないでラグビーをする子供たちを見ていて、これは自然に対するひとつのマニフェストではないかとの思いが頭をよぎった。俺たちは自然に左右されず、俺たちのやりたこと、やるべきことを貫徹する、というような。

われわれの自然に対する感覚となんと違うことかと改めて思った。僕らは、雨が降ったら素直に、傘をさしたり、レインコートを着たり、軒の下に入ったりする。雨に対峙するようなことは普通しない。以前、長く住んでいたタイだって同じ。あそこの雨はスコールで、まあ、降り出してもすぐあがるのだけど、雨が降ったら皆どこかで雨宿り。われわれは自然にあまり逆らわない。

どんな天候でもスポーツをやる、という姿勢の中に、彼らの生きる上での根源的なスタンスを感じた。あくまでも人間が主体であって、人間の意志を優先する。自然が主ではない。この国だって自然愛好家は多いし、自然を愛する気持ちが強いことはよくわかるが、あくまでも自分にとって(都合の良い)自然を愛でるのであって、あくまでも中心は自分たち人間。同列またはそれ以上のものとしての自然に対する畏怖の念は薄いのではないだろうか。
主夫じゃないんだけれども、お父さんたちが子供を学校に迎えに来ることがここではよくある。ネクタイしてたりするので、きっと普通に働いているお父さんたちだと思うんだけれど、なぜ、こんな時間に子供を迎えにこられるのかなとちょっと不思議に思う。

自分は主夫なのでほぼ毎日、子供の学校の送り迎えをしているけれど、以前、日本の団体で働いている時は子供の学校の送り迎えをすることなんか考えたこともなかったし、やろうとしても仕事優先ということで、多分難しかったと思う。

その点、ここでは、子供の学校の送り迎えにみられるように、お父さんが家事や家族関係の物事にかかわることが少なくなく、それができる柔軟性があるようだ。仕事の前に家庭や生活がある。仕事は生活や家庭のためにやっているのであって、その逆ではないということなのかと思う。まあ、共稼ぎが多いので、お母さんが忙しい時はお父さんが対応せざるを得ないという現実もあるのだろう。

最近は日本のお父さんも子供の学校の送り迎えを時々するようになっているのだろうか。
どなたか教えてください。
一見関係なさそうな事柄を並べた変なタイトルで、何のブログだか、にわかにわからないと思うので、自己紹介もかねて簡単に説明します。

現在、英国、ウェールズのスウォンジーというところに家族と住んでます。なのでまずは「ウェールズ」。

主夫をしています。なので「主夫」。

妻は勉学、私は主夫。基本的に収入がないので家計の足しにとFX(外国為替証拠金取引)をしています。なので「FX」。(あまりうまくいってませんが)

音楽が好きです。特にクラシック。なので「クラシック」。

きちんと、立派なことを書こうとすると疲れるし、長続きしないのはこれまでの経験からわかっているので、思ったこと、感じたこと、言いたいことなどを、勝手気ままに書いていきます。よろしければ、コメントください。

嘘は書かないように極力注意しますが、間違い、認識違いもあると思うので、あまり書かれていることを鵜呑みにしないほうがいいです。間違いのご指摘は謙虚に受け止めますが、あまり、つっこまないように。

日々、なにかと疲れることが多いので、書く側(私)も読まれる側も出来るだけ疲れないような肩の力が抜けたスタンスを目指します。内容がゆるすぎて性に合わない方は、読まないようにしてください。

取り急ぎ、以上。