普天間の夕間暮れ | ひげブログ

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へっぽこ三線奏者、ひげまるの特にテーマ性の無いブログ

うわぁぁぁ!すみません、すみません、

1か月以上更新できませんでしたぁぁぁっ!

東京では桜も散ってしまったと言うのに、未だに昨年秋の紀行文を

続けておりまするぅぅぅぅっ!



気を取り直して紀行の続きと参りましょう…。


浦添ようどれからも、中城からも、もうね、ずぅぅぅぅぅぅっと、

目について目について、気になっていたんですよ。

普天間飛行場

一度近くでじっくりと見てやろうと思ってたんで良い機会です。

と、その前に折角ですから普天間宮に参拝することとしましょう。


$ひげブログ-普天間宮1

どーですかお客さん!

実に立派な社殿じゃないですか!

社殿は典型的な大和建築ですが、屋根瓦や相変わらず全体的に

茶色掛ったカラーリングに沖縄テイストを感じるわけですよ。

実はこの神社、洞窟がありましてね、そりゃもうどえらい

パワースポット
だという話でしたので、こりゃ是非にも洞窟の

中に入ってマブイ(魂)の洗濯をしようじゃないかと思ったわけ

ですよ。

とりあえず拝殿できちんとお参りしましょう。

沖縄の神社、特に赤犬子宮のような沖縄ネイティブの神様に

お参りする時は、どんな作法でお参りすべきなのか戸惑いますが、

普天間宮の主祭神は熊野権現なので、安心して普通の神式で

お参りができるわけです。


$ひげブログ-普天間宮2

さて洞窟、洞窟はと…

アタクシてっきり洞窟は社殿の横っちょあたりにぽっかり口を

開けているもんだとばっかり思っていたんですけど、立派な

社殿がででーんと鎮座するばかりで、それらしいものは見当た

らないんですねぇ。

…あ、看板がありました。

どうやら社務所に拝観を申し込まなくてはならないようです。

夕5時までに…。5時?!とっくに過ぎてるやん!(TωT)…。

いたし方ありません、また来るからいいサー。

ということでいよいよ本命の普天間飛行場を拝みに行きましょう。



$ひげブログ-嘉数展望台

アタクシが向かったのは嘉数高台と言いましてね、道路の方向

案内標識には「京都の塔」って出てましてね、京都の塔?って

その名称に疑念を差し挟みながらも標識に従って進んで行くわけ

ですよ。

すると住宅街の中に公園がありましてね、結構な高さの石段を

えっちらおっちら登っていくわけですよ。

するとなんかネオジオンの水陸両用モビルスーツ、カプールに

似た形態をした児童公園の遊具の親玉
みたいなもんがあるじゃあ

ございませんか!

実はこのカプール、浦添ようどれからもよく見えましてね。

一体なんだべかと、気になっておったんでございますよ。

こうして近くで見るとなんか塗装も禿げちょろけて、ボロッ

てな感じがするじゃ、あーりませんか。


…いや、これは禿げちょろけなんかではありませんね。

地図ですよ、これは地球儀だったんですね。

真ん中の一部剥げて錆びが浮いているように見えるのは、これ

よく見りゃ沖縄本島じゃないですか!


ということでこのオンボロ地球儀の輪切り、実は展望台だった

んですね。

何が見えるのか早速登ってみましょう…。



$ひげブログ-普天間飛行場1

おおー、来ましたねぇー。

目の前にドーンと普天間飛行場の滑走路が広がっています。

いや広がると言ってもね、ワイドというよりも奥行ですよ。

地平の方まで滑走路が伸びているわけです。ドーンとね。

この風景、初めて見た気がしませんね。

それもそのはず、テレビニュースなんかで普天間基地が取り上げ

られる時に映し出される風景は大抵、この場所から撮ってる
んで

すね。政府要人の視察なんかでもこの場所に来ることが多いよう

です。


この普天間飛行場、宜野湾市の中にぽっかりと、まるで滋賀県に

於ける琵琶湖のように、ぽっかりと宜野湾市に大穴を開けている


んですね。

そして周りにはびっしりと住宅がひしめいていましてね、そんな

中を戦闘機がタッチ・アンド・ゴーの発着訓練を繰り返したりな

んかしてるわけですよ。

もうね、一刻も早くこの基地はどかさにゃならんとですよ。

…いや、どくはずだったんですよ。

何代か前の関白殿下

「最低でも県外クルッポッポー」

なんてヘンなこと言いださなければ、

今頃宜野湾市民は跡地の再開発どうするかで目ぇキラキラさせ

てたはずなんです。


ところがどうですか、今アタクシの横ではやはり旅行者と思しき

ナイチャーが「でもぉ」だの「だけどぉ」だの深く考えずに薄い

反駁を試みたもんだから、地元のニイチャンから機銃掃射のよう

な反撃を喰らってアップアップ言ってますよ!

ヘタに反論すれば県民感情をおろし金でシリシリすることになり

かねません。


こういう時は、ごもっとも、まったくそのとおり、と傾聴の

体でいて、最後に一言、

「戦争に負けるというのは、こういうことなんですよ」

で〆れば

「ダカラヨー」

で議論は終わるんです。


$ひげブログ-普天間飛行場2

さてこの普天間飛行場を見下ろす展望台のある嘉数高台、昔は

嘉数高地と言いましてね、実は沖縄戦最大の激戦、

「嘉数の戦い」

が繰り広げられた場所なんです。

この戦いは嘉数高地を確保しようとする米軍が次々と戦力を

投入する中、日本軍が頑強に抵抗したために両軍に多大な

戦死者を出し、米兵はこの高地を

「死の罠」とか「忌まわしき丘」

と呼んだそうです。

昭和20年4月8日から4月24日までの16日間に渉って

行われた激戦で、日本軍の戦死者6万4千、米軍の死者は

2万4千と言う凄惨なものになりました。


先ほどこの場所へ向かう道路標識に「京都の塔」とあったと

言いましたが、これは嘉数を死守した第62師団独立混成旅団

には京都出身兵が多かったんですよ。

そしてそのほとんどが故郷を再び見ることなく嘉数に散って

いったんですね。

戦後その慰霊碑が建てられたんですが、これを「京都の塔」と

呼んでいるわけなんですよ。


この高台から普天間を見下ろしながら、アタクシは67年前の

飛び交う砲弾と火柱と硝煙に塗れた阿鼻叫喚の荒野が渺々と

広がっている様を瞼に浮かべて、しばし物思いに浸ってしまい

ました…。


$ひげブログ-宜野湾夕日

振り返れば東シナ海に落ちんとする夕日が宜野湾の街を

茜色に染めています。

67年前の夕日も、今日の夕日も変わりはしません。

変わっているのは人の営みだけです。


あんしぇぐすよー、ぐぶりーさびら、またやーさい!(・ω・)/