Charlie Parker Story On Dial Vol.1 | ongaku:キョウノイチマイby『飄逸庵』

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さて、今日ご紹介するのはコチラ。

Charlie Parker Story On Dial Vol.1です。このジャケ可愛いですよね。

 

チャーリー・パーカー・ストーリー・オン・ダイアル Vol.1

 

 

しばらく動画アップするのに時間が空いたのは、チャーリー・パーカーを語るというのは非常に難解だと感じたからで、悩みに悩んでいたわけであります。

 

パーカーといえば、言わずと知れたビ・バップのアイコンでそのカリスマ性も相まって、ジャズを聴かない人でも名前は聴いたことあると思います。

彼がジャズ界に与えた影響はあまりにも計り知れないわけで、僕の拙い語彙力だけでは何も伝わらないかもしれないという思いがあったのですが、いつも通りにすることに決めました。

この、一枚は、西海岸での活動をした1945年12月から1947年2月のダイアルに吹き込んだプレイをまとめたものでVol.2まであります。オン・ダイアルでいえば別に名盤の呼び声高いVol.1~6までありますが、コチラは西海岸でのプレイを収めたものであり、マイルスを口説き落として初セッションを行ったテイクも収められております。

 

1940年代後半といえばパーカーが一番脂の乗っていた頃で、独創性や気力に溢れているプレイが楽しめます。先ほど、1945年12月からといいましたが、実際にレコーディングをされたのは歳の明けた1946年2月5日です。この日の録音は実質1曲しか録音されていません。あまりにもスタジオに取り巻きが押し寄せて録音できる状況ではなかったそうです。なので、日を改めて7日にやろうときめていましたが、その日を境にパーカーが雲隠れをしちゃったんですね。それで、結局ガレスピーが残りのテイクを録って記念すべきダイアルのファースト・レコードはガレスピー名義になっています。

 

ガレスピーたちがニューヨークに帰って数日たった2月20日にダイアルの創設者でレコード店をやっていたロス・ラッセルのところにパーカーがひょっこりと顔を出します。

そして、ラッセルに自分が本当にやりたいジャズというものを熱弁します。それは、ガレスピーのような華麗な技巧を持ったトランぺッターとのコンビネーションに疑問を抱くようになったということ、それとはまったく別の肌合いのプレイヤーとのコンビによってもっと柔軟性に富んだ全く新しいコンセプションにイメージを進めていることを語ったそうです。そして、パーカーのイメージに共感したラッセルはパーカーと一年の契約を結ぶことにします。そうして、やっと西海岸でのパーカーの活動が動き出します。ベニー・カーター楽団の一員としてL.A.にやってきたマイルスを口説き、クインテット編成を率いてL.A.の『フィナーレ』に出演するようになります。そうして、3月28日にパーカー名義のセプテットコンボのファースト録音がなされるわけです。

一曲一曲、エピソードがあって語りたいところですが、今日はこの辺にしときましょう。

本作は、非常に明るく初心者でもなじみやすい一枚だと思いますが、録音状態は決していいとは言えませんのでその辺を加味して、パーカーの凄さを堪能してもらえばと思います。

 

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最後までご視聴いただきありがとうございました。

 

また次回の動画でお会いしましょう。