列車の「足」の話(3) | 夜汽車の汽笛への憧情

列車の「足」の話(3)

鉄道ハードコアシリーズ
今回も台車の話です。

前回から少し時間が進みます。



今回ご紹介するのはペンシルベニア形の板バネ台車です。
鋼製車両が登場しはじめた昭和初期、鉄道省はTR10タイプの釣り合い梁式台車に使用していた球山形鋼は元々造船用の鋼材だったため、造船不況により製造打ち切りとなり、新たな鋼材を使った台車の開発を強いられました。
電車部門では私鉄で使用していたボールドウィンタイプのTR21、DT11(TR22)が採用されましたが、客車部門ではアメリカのペンシルベニア鉄道で使用していた軸バネ式台車に目を付けたのでした。
そうした背景で開発されたのが上の写真のペンシルベニア形台車TR23です。

使用する鋼材は汎用のH形鋼で、軸間距離を長く取っています。

大きく変わったのがサスペンションで、従来の釣り合い梁を廃し、軸箱の上に軸バネを配する方式となりました。

ブレーキは従来と同じ両抱式です。

枕バネは従来どおり板バネですが、4連タイプとなりました。

汎用鋼材のため入手性も良く、シンプルな構造であるため製造も有利であり、また、釣り合い梁を廃止したことでバネ下重量が減り、ブレーキシューの交換が容易となりました。
昭和5年にスハ32600形(スハ32)で採用したところ優秀な成績を納めたことから、その後の客車のみならず電車、気動車にも採用されました。

またシンプルな構造から軸受けやバネ等に様々な改良を加えた派生形も登場し、戦前のみならず戦後暫くまでの鉄道省~国鉄における標準形となりました。
また、比較的軽量の台車であるため、重量過多となった客車の軽量化対策として使用されたケースも多くあります。
(TR11よりは重かった様ですが。)

前の釣り合い梁式と同じく、優等車向けの3軸台車も開発されています。

それでは、ここからペンシルベニア形台車を履いた車両をピックアップして紹介しましょう。


・スハ32形(スハ32800)
昭和4年に登場した優等列車向けの一般形客車です。
狭い窓がズラリと並んだ姿は壮観ですね。
当初は二重屋根で登場しましたが、昭和7年製から写真の様な丸屋根となりました。
20m級の車体に座席に合わせた窓配置など、一般形客車の基本とも言える客車になりました。



・マロネ29形100番台(マロネ37400→マロネ37)
昭和8年に登場した開放式の寝台車です。
当時の二等寝台車としては標準だったツーリスト式(線路方向の二段寝台で、昼間は座席がロングシート状になる)の寝台車でした。
優等寝台車であるため、乗り心地を重視して台車は三軸タイプのTR73を履いています。2ヶ所の枕バネの間にバランサが着いているのが特徴的ですね。
戦前製の寝台車では最大勢力で、昭和40年頃まで活躍しました。




・オハ35形(スハ33650)
スハ32形の増備車として昭和14年に登場した一般形客車です。
三等車(当時)としては初の広窓を採用し、戦後まで製造が続けられて1300両以上製造された旧型客車の代表選手です。
写真は戦前形で、スハ32の窓を広くした形になってます。
いまでも大井川鉄道のSL列車で乗ることが可能です。


・マシ38(スシ37850→スシ38)
昭和11年登場の食堂車です。
オハ35形に先駆けて広窓を使用し、車内窓上にはアールデコ調の飾り板が配置され、客車としては我が国で初めて冷房装置を搭載した意欲作でした。
ちなみに、冷房装置は走行時の車軸の回転力を利用してコンプレッサーを動かすもので、車軸には冷房用のプロペラシャフトが取り付けられていました。
さて、戦前の食堂車は上流階級のサロン的な役割を担っていたことから優等車両扱いされており、寝台車や展望車と同じ三軸のTR73を履いています。
晩年は夜行急行「安芸」に連結され、昭和43年まで活躍しました。



・クハ16形0番台(クハ38)
TR23が使用されたのは客車だけではありません。昭和5年に登場した通勤形電車31系の制御車にもTR23が採用されました。
電動車がボールドウィン式なのと対称的です。
どうやら電車でもこのペンシルベニア形台車は具合が良かった様で、その後の電車にも広く使われることになりました。
なお、クハ16形0番台は昭和55年まで活躍しました。戦前形としては長寿ですね。



・クモハ40形(モハ40)
昭和7年登場の通勤形電車です。
国鉄としては初の20m級電動車となりました。
バランスの取れたスタイルに程よく配されたリベットが魅力的ですねぇ。

さて、台車はTR23のモーター付き版であるDT12を履いています。TR23との外観上の差異はやはりブレーキ周りで、組ブレーキとなっているためブレーキシューにTR23と比べてゴツいテコと、下部にロッドがついています。
このDT12はモハ40以降の戦前形電車全般に使用され、ベストセラーとなりました。
なお、私鉄には派生形で枕バネをコイルバネに置き換えたものが存在していました。




・オハフ33形(戦後形)
オハ35の緩急車形であるオハフ33です。
オハ35と共に戦後も引き続き製造されましたが、戦後は人手や資材不足もあって、工作の簡略化のため屋根の前後端の丸みがなくなりました。
さて、台車は依然ペンシルベニア形ですが、航空機や戦車等の製造禁止によって納入先を失った国内のベアリング産業保護のため、軸受けにベアリングを使用したTR34となりました。
TR23との外観上の相違点はやはり軸受けですが、軸箱や軸箱守の形にも相違が見られます。
初期にはトラブルがあったものの、復興によってベアリングの精度が上がると従来の平軸受けより優れた性能を現す様になり、以降の台車はコロ軸受けが主流となりました。


・クモハ73形(モハ63)
昭和19年登場の戦時設計の通勤形電車モハ63形を、昭和28年以降改良した車両です。
台車はTR34のモーター付き版と言えるDT13で、外観はよく似ています。
やはり電動台車らしくゴツいブレーキ周りと下部のブレーキロッドがTR34との外観上の主な相違点です。
なお、写真の車両は昭和37年以降に新製車体に載せ替えているため、旧型電車と101系以降の折衷形の様なスッキリしたスタイルです。



・オハ47形
昭和26年登場の一般形客車スハ43形の台車を寝台車オハネ17形へ供出するため、昭和36年よりオハネ17の種車となった戦前形客車(主にスハ32系)の台車であるTR23を履いたものです。大部分の軸受けをコロ軸受けに交換しており、軸受けの形がオリジナルと異なっています。
また、軸箱や軸箱守はそのままであるため、同じくTR23のコロ軸受け版と言えるTR34とも異なったスタイルになってます。
戦後形のスッキリボディーに戦前形の台車がミスマッチ・・・と言いたいところですが、同様の車体をもつオハ61系はさらに古い釣り合い梁式台車だったり、オハ47自体300両以上の大世帯なのであまり違和感がありませんw
現在でも大井川鉄道やJR東日本のイベント用として活躍中です。


・スロ54形(冷房改造車)
昭和27年登場の優等座席客車です。
座席車としては初めて本格的に蛍光灯を使用した客車でした。
さて、元々この客車は後日紹介予定のTR40を履いていたのですが昭和41年から冷房改造する際にそのまま冷房装置を搭載すると重量ランクが「マ」となって運用上扱いにくいことから、比較的軽量な戦前形のTR23と振り替えを行いました。
これが冒頭に書いた「軽量化のための振り替え」のケースです。
ちなみに、発生したTR40はスハ32やスハフ32に使用されています。
余談ですが、写真ではパーツの都合上オリジナルの平軸受けタイプのTR23となってますが、実車は殆どコロ軸受けだった様です。

以上、ペンシルベニア形板バネ台車とそれを使用した車両の紹介でした。

次も板バネ台車です。