村田諒太の「ダイレクトリマッチ」にはどうしても一言いっておきたい せめてやるなら敵地フランスで 現代ビジネス
>野球界やサッカー界と同じように、ボクシング界にもトップ・オブ・トップを目指すのであれば海外へ進出する時代がやって来ている。
1980年代、90年代まではプロボクサーは世界チャンピオンベルトを腰に巻けば、日本人の誰もに知られるスターになれた。
だが現在は違う。日本人現役世界チャンピオンが12人もいる。全員の名前を知っている人がどれだけいるだろうか。つまり世界チャンピオンになることも選手に以前ほどのステータスをもたらしてはくれない。真のスターボクサーになるには、世界チャンピオンになった上で、そこから何をするのか、何で魅せるのかが必要になっている。
そんな中、“モンスター”の異名を持つWBO世界スーパーフライ級王者の井上尚弥が、9月9日に初の海外進出を果たす。
場所は米国カリフォルニア州カーソンのスタブハブセンター、MLS(メジャーリーグサッカー)のロサンゼルス・ギャラクシーのホームスタジアムであり、2012年10月にWBC世界スーパーバンタム級王者であった西岡利晃がノニト・ドネア(フィリピン)を相手にラストファイトを行った会場だ。
相手は、プエルトリコ系の米国人、WBO同級7位のアントニオ・ニエベスだ。オハイオ州クリーブランドで暮らし、普段は銀行で働く30歳。3月の前戦では物議を醸す判定ではあったが、ロシア人のニコライ・ポタポフに1-2のスプリットデシジョンで敗れており、井上に比すれば格下の感は否めない。
それでも井上にとって、このニエベス戦はとてつもなく重要な戦いとなる。世界が注視する米国のリングでインパクトのある勝ち方ができるか否かで今後が決まるからだ。奇しくも、この興行でのメインイベントには、井上が、対戦を熱望してきた“4階級を制覇した男”ローマン・ゴンサレス(ニカラグア)が出場する。彼は3月にプロ初黒星を喫した相手、WBC世界スーパーフライ級王者シーサケット・ソールンビサイ(タイ)との再戦を行うのだ。
この試合の勝者と年末に日本で王座統一戦を行うプランを井上陣営は描いている。そこで勝利を収め再び米国で防衛戦を行い、世界的知名度を高めていくことを目論んでいるのだ。井上には、それを果たせるポテンシャルが秘められている。
弱い相手とは闘いたくない。強い相手とだけ闘う。その方針をこれまで貫き、勝ち続けてきたことが大きな自信の裏付けとなっている。異国の地での闘いだからといって、“モンスター”が怯むことはなかろう。
米国のプロモーターは井上に“第2のパッキャオ”になることを期待している。いや、それ以上の存在になることを私は求めたい。
さて、村田諒太の次戦も決まった。10月22日、両国国技館で、前回敗れた相手アッサン・エンダム(フランス)と再戦を行う。正直なところ、これはちょっといただけない。
5月20日、有明コロシアムでの試合は、私の採点では村田の勝ちだった。でも過去のジャッジ例を見れば、勝敗が逆になることも有り得ないわけではない。にもかかわらず、WBA会長のヒルベルト・メンドサ・ジュニア会長は、こんな声明を出している。
「私の採点では村田が117-110で勝っていた。村田諒太と帝拳プロモーション、日本のファンにお詫びしたい。このひどい決定のダメージをどう回復させたらいいか、言葉が見つからない」
そしてメンドサ会長は、エンダムvs.村田の再戦を指示したのだ。WBAは基本的にダイレクト・リマッチを禁じているにもかかわらずである。加えて、エンダム優位と採点したジャッジ2人に6カ月間の資格停止処分まで科した。
果たして、村田が弱小ジムの所属選手であったならば、メンドサ会長がこのようなメッセージをわざわざ発しただろうか。ボクシング界で力を有する帝拳プロモーションへの気遣いとしか私には思えなかった。
おそらくはリマッチのジャッジには忖度が働くことだろう。村田に優位になるよう採点をしなければ自分たちも処分されてしまうとの危惧から。
村田はエンダムとの再戦の道を選ぶべきではなかったと思う。ミドル級最強の男、WBA世界スーパー王者であり、WBCとIBFのベルトも保持しているゲンナディ・ゴロフキン(カザフスタン)に果敢に挑むべきだった。世界のベルトを腰に巻けばいい、という時代は、すでに終わっている。エンダムと再戦するにしても、少なくともフランスに乗り込んで闘ってやるという男気を見せるべきではなかったか。
ロンドン五輪金メダリストの肩書きによって多くのスポンサーに守られてきた村田よりも、その才で道を切り拓き、世界の舞台に打って出ようとしている井上の方が、私には、はるかに輝いて見える。(近藤 隆夫)
…さて、井上選手の最強路線への賞賛は理解できます
そして、村田選手への多少なりともの苦言も、まぁ、一歩譲ってわからんでもない
しかし、この記事をお書きになった近藤隆夫氏の「潔癖主義」にはいささか配慮が欠けている
このような書き方では一般読者の中には選手自身がマッチメイクの主導権を握っていると誤解を与える可能性があるという基礎的な違和感が残る
実際のところ、もちろん、選手の意向が全く反映されないということはないだろうが、テレビ局や陣営の意向、ビジネス的側面の影響が大きいことは「プロスポーツ」であるゆえに言わずもがな…であり、そのような現実への配慮を一切触れずに、村田選手に「男気」が足りない、だなどという言い方でもって批判するのは理不尽というモノであります
これではまるで、自分の好きな女性は「処女」でなくちゃ許せない的な中学生的なる偏見と悪意を感じてしまう
この村田選手への個人攻撃にもとれる書き方には幼稚さとアンフェアが滲んでおり、これには承服しかねる
また、この近藤氏は世界のミドル級が世界的プロモーターである本田明彦氏の手腕をもってしても、挑戦者として村田選手をそう簡単には押し上げられないほどの「特別な階級」であることにさえ触れてもいない
挑めるだけでも奇蹟…と言っても過言ではない「世界的スター階級」であることも考慮し、それに触れたうえで批判すべきだ
そのような背景を無視して、村田選手本人が「男気」がない、と批判するのは批評家としてのレベルの低さを感じざるを得ない
「無知の知」という言葉を今一度思い起こした方がよい
さらにミドル級最強のゴロフキンに挑めと簡単に書いておられるが、それは先にも触れた背景もあり、村田選手自身の意向や意思によってポンポンと都合よく進まないことは専門家でなくともわかること…
そして、この近藤氏が軽量級期待の星である井上選手を絶賛する気持ちはよくわかりますが、しかし、これまた階級的にどうしても派生してしまう、その世界的「価値の重みと珍重度」が段違いであることに触れないことの配慮の欠如も感じる
井上選手の天才性と実績は過去の歴代日本人世界チャンピオンを軽く凌駕する予感を十分秘めているし、期待値も興奮も最高潮に高まっていますが、ただ、それとこれとは別であります
同階級にゴンザレスやクアドラス、エストラーダにシーサケット…等々らが同時代に存在することの幸運と軽量級の「商品価値」にも触れるべきだ
そして、今回井上選手が出場する興行は「スーパーフライ」と銘打たれたイベントで、今後、さらに世界的に盛り上げていこうとする階級であり、言い方は悪いが、世界的「商品価値」としては「これから」という側面も否定できない…
ただ、魅惑的な軽量級スターが同時代にスーパーフライに集まった、という奇蹟がその価値をグングンと高めつつあります
いいライバルがいてこそ輝けるわけで、ゴンザレスもクアドラスも帝拳所属の選手であり、実は井上陣営にとっても交渉しやすいという背景もあり、その実現は非常に現実的でもあります
きっと夢のゴールデンカードは実現するでしょう
しかし、これに対して、無類の強さを誇るゴロフキンやアルバレスが君臨するプロボクシングの最高峰、その「商品価値」がすでに確立されている「ミドル級」はそうはいかない…
ざっくばらんに申し上げれば、外国の超高級車 と 国産車 …的な 商品価値 の格差はどうしても存在してしまう
いやな書き方になりますが、どう考えても「ミドル級」と「スーパーフライ級」が同一の「商品価値」ととらえることはナンセンスであります
それぞれに価値と面白さがある…という書き方をすべきだと僕は思うし、それが前提である、と示すべきた
にもかかわらず、これに触れることもなく、ただ、「潔癖目線」で井上選手には『男気』があって村田選手には『男気』がない…という幼稚な書き方に僕はがっかりしたのだ
井上選手に「パッキャオ以上」を求める気持ちは十分理解できるが、しかし、井上選手は海外へ乗り込んで戦うのに村田選手は日本でエンダムと再戦かよ、「男気」が全くないぜ…という幼稚なる論法の未熟に文句の一つも書かなくちゃ納得いかない…という気持ちになりました
そりゃぁ、なんでも「理想」に近づけられたらいいさ
思い通りになればいいし、思い描いた通りになって欲しいさ
…が、そうはいかないのがこの現実世界であり、ビジネスの世界であります
村田選手はキッチリとこの再戦に勝って初めて世界のミドル級に参戦する「資格」を得られるという立場であり、これが現実であります
例え五輪金メダリストであろうとも、世界的にはまだ評価を得られておらず、単なるアジアのスター候補生といったところだと思う
そして、村田選手はエンダムを打ち砕き、防衛を重ねて初めてゴロフキンやアルバレスとやっと肩を並べることができるのであり、ついに最大の勝負の時が待っているのだ
近藤氏はその道程を無視していきなりメインディッシュを食べないのは「男気」がないと仰るが、それは無理難題というモノであります
幼稚な目線だ
とても識者の目線とは思えない
そして、どうせやるならエンダムの母国であるフランスで戦えとは、これまた幼稚なる「潔癖目線」の炸裂であります
村田選手とその陣営の志は高いと信じるべきだ
WBAのジャッジが「忖度」しちゃうかもしれないのが許せないってのはわかる…が、だからこそ村田選手とその陣営は「文句のつけようがない勝ち方」を目指しているはずだし、その視線はエンダムの「先」にあるのだ
村田諒太は腹を括っている
その視線と思索は世界チャンピオンになったらそれがゴール…とは微塵も考えてなどいないだろう
近藤氏よ、ならば、その幼稚なる目線でいつかの姑息の極致である亀田兄弟や、やるやる詐欺の「最高ですか男」の井岡選手をズバッと論じていただきたいものであります (ちなみに僕は熱心なファンから恫喝を受けるほど批判しまくってきましたが…)
どうせならこの記事の中で「真の腰抜け列伝の系譜」にも触れたらよかったのに…
まぁ、亀田兄弟は過去の遺物(汚物?)扱いで今さらほじくり返す価値もないかもしれませんが、しかし、村田選手をこうまで書くならば井岡選手の世界チャンピオンとしての「恥ずべき姿」を先に糾弾すべきだ…と僕は思いますけど…
ということで、朝から非常に気分の悪い記事でした
もっとも僕は「求道者」たる、村田諒太の大ファンでありますが、しかし、それは、村田選手が不可解な形で敗れてもなお、あまりにも清々し過ぎて感銘を受けたからであります
ということで、エンダム再戦決定の時に書いた、いつかの村田選手への応援記事をもう一度貼りたいと思います
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2017 8 3 の 記事より 10/22 エンダム再戦決定 を想う… より
…ついに、決定しましたか
個人的には、やはり、これが一番いい…と考えておりました
WBAという老舗団体の微妙なる運営と崩壊しつつある権威への嫌悪感は確かにありますが、しかし、村田選手がさらに「その先」を目指す以上、これ以上わかりやすくて、おあつらえ向きな相手は存在しない…と思う
ゴロフキンとカネロによるミドル級最高峰決定戦も気になりますが、この際、それは二の次だ
「あの時の自分」を越える…という『目標』こそ、村田選手にとってのチャレンジの意義としては最高なのではないか?
前戦は確かに接った内容になってしまった
僕の個人的な採点では村田選手の判定勝ちに見えたが、しかし、一方で、村田選手の判定負けを唱えた方が一部存在していたことも事実であります
勝利への鍵は明確だ
それは「手数」であり、前回以上の「積極性」であります
さて、話は変わりますが、読書好きで知られる村田選手でありますが、常日頃から自己を見つめるための哲学書、心理学書を読みふけっているということですが、そんな精神世界への探求こそが村田選手のボクシングの背骨にあるのだなぁ…と感じた前回の敗戦でもありました
あの痛恨なる判定結果に納得がいかなければ不満が顔に出ないはずがない…
が、村田選手はがっかりした顔こそしたものの、しかし、次の瞬間には笑顔を作り、その痛恨にして非情なる判定結果を受け入れて関係者への感謝と自身への不甲斐なさを「清々しく」悔いただけであった…
不満、反抗の類は、そのおおらかなる人間力の中に封印してしまったわけでありますが、これはなかなかできることではありません
全てを受け入れ、そして、「考える」ことと「向き合う」
さて、いかがでしょうか?
これ、物凄い領域に村田選手の成熟した自我が到達していることの証だと思いませんか?
仮に、僕が村田選手の立場であったならば、試合終了後に周囲の人々に「勝っていた、勝っていた」なんて言われたら、思わず、「WBAの裁定結果には承服しかねる」の一言を主張したくもなるし、逆に、それを自分自身が主張しなければならない…と思うのではないか?
だって、自分が全てを犠牲にして練り上げて来たものが「否定」されてしまうわけで、自分のこれまでを、自分の努力を、せめて自分自身で擁護せねば、「自分を保てない」のではないか?
僕があの時の村田選手の立場であったならば、涙を流して「異議」を唱えていたような気がする
が、村田選手の「自我」の成熟は、さらに困難にして険しい領域へと するするっ…と、自然に立ち入ってしまったのだ
つまり、もっと険しい領域とは、その「結果」と「責任」の全ては、自身の「力不足」に『起因』していたのだ、と認めることであり、これこそはもっとも厳しい「苦行」に挑む決心と覚悟を示しているのだ
悔しくないはずがない
やりきれないはずなのだ
納得できない、承服しかねるはずなのだ
…が、村田諒太は何の躊躇も見せず、そこへ、そのもっとも「苦して」「しんどい」領域へ踏み込んだのだ
…さて、村田選手には絶対にエンダムに打ち勝って欲しい
そして、さらなる「高み」に踏み込んでほしい
この戦いは単なる「WBA世界ミドル級タイトル」への挑戦という意味だけではない
村田諒太 という、日本屈指のアスリートの「自己探求」と「自己実現」への哲学的なる『挑戦』の軌跡でもあるのだ
僕はチャンピオンベルトの輝きよりも、村田諒太というボクサーの「求道者」としての到達点に興味が尽きないのだ…と書いたら不謹慎だろうか?
ただ、これだけは言える
村田諒太というボクサーは、間違いなく前回よりも身も心もさらに「強靭」になって帰ってくる…と断言しよう
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さて、近藤さんは僕のような素人にここまで書かれたら頭に来ちゃうだろうなぁ
でもさ、ちょっと安直すぎると思いません?
井上選手には「男気」があって、村田選手には「男気」がないなんて、僕は看過できない記事だなぁって思っちゃいましたけれど…
御愛読感謝
つづく