1992年5月号 の ボクシングマガジンより
…これ、25年前 で 僕はまだ20歳 でしたぁ
WBA世界Jr.バンタム級王座決定戦
1位 鬼塚勝也
×
2位 タノムサク・シスポーベー
これ、僕が初めて 疑惑の判定 と言う言葉を肌で感じた一戦でした…
僕はボクシングマニアと化してはいなかった頃で、ただ、世界タイトルマッチのテレビ観戦だけは忘れないようにしていた程度でしたが、テレビの前でこのタイトルマッチ終了のゴングを聞いた直後…
あぁ、負けたぁ…
と、落胆とため息が溢れたことだけはよ〜く覚えています
ところが結果は鬼塚さんの僅差判定勝ち
えぇっ⁈
複雑…っていうか、嬉しくない…と、感じたことをよく覚えています
この判定結果は当時、かなり議論の的になった記憶あります
当時のボクシングマガジンの編集部にも 数十件の抗議の電話があった…との記述あります
しかし、鬼塚さんは国内ではとにかく強かったし、その実力に疑いの余地はありません
が、ボクシングと言うスポーツが命懸けの崇高を賭ける以上、その判定は明白なるものでなくては後味がどうしても悪くなるし、消化しづらいことは確かなのだ
当時、スタイリッシュでファッショナブルだった鬼塚さんは時のスーパースターになりましたが、僕にはこのタイトルマッチの判定結果がどうにもシコリとなって残ってしまった
後にタノムサクとの再戦に勝利したのですが、何かが引っかかってしまったまま…
そして、巧みに距離も操れた鬼塚さんが近距離での打ち合いに身を投じる激闘派のファイターと化していった背景を当時は知る由もありませんでした
僕が鬼塚さんを好きになれたのは、鬼塚さんが
李炯哲に負けて6度目の防衛に失敗した後でありました
時すでに、当時の鬼塚さんは網膜剥離を患っていて、しかし、それを隠して 世界チャンピオンであろうとしていた…と言う記事を読んでからだ
その視界は歪み、相手との距離感を計れなくなったため、あの至近距離の激闘スタイルを選択するしかなくなっていった…的なことを何かで読んだ記憶あります
ハンサムで、ファッショナブルで、チャラチャラとダンスなんか披露して、女性の黄色い声の中で煌めく世界チャンピオン…
…はその実、苦悶と恐怖と戦いながら、最後まで世界チャンピオンとして、泥臭く、血みどろになりながら、己を貫いたのだ
物凄く壮絶な散り際だった…が、李炯哲の連打をコーナーを背に浴び続けるも、ダウンすることだけは拒み続けましたね
究極的なるストイック…を体現してくださいました
さて、最近はジムを営みながら画家としても活躍されている鬼塚さんですが、しかしながら、一連の亀田兄弟ヨイショのテレビ解説だけはいただけなかったなぁ〜 ^^;
それはそれとして、鬼塚勝也と言うボクサーが戦いづづけた相手の中に、対戦相手以上に 疑惑の判定 と騒がれた当時のバッシングがあったのは間違いない
25年前の古いボクシングマガジンを開きながら、あの時の苦々しさが蘇ってきた
あぁ、負けた… のに、勝った…
あの、青春の困惑が蘇ってきた
どういうわけか、僕は鬼塚×タノムサク パート1 をなかなか見直す気になれない
奇妙な話だが、確かめるのが怖いような気がする
それは鬼塚勝也と言うボクサーの意地と反骨が、あの疑惑のタイトルマッチによって、より強固にして頑強なものになったのだ …信じ続けたいからなのかもしれない
さて、入院生活も本日で8日目でありますが、だんだんとよくなっております
退院まで、もうちょいかなぁ〜
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