辰吉選手の7RTKO負けをどう受け止めるか? | ボクシング&ロック野郎 higege91の夜明けはまだか?

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辰吉TKO負けで厳しい現実/ボクシング 日刊スポーツ



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我々ボクシングファンは、3度も世界王座を獲得した伝説的天才ボクサー、辰吉丈一郎選手をどのような気持ちで迎えるべきなんだろうか…?


その鋭利な才気は神懸り的であり、プロ4戦目で日本王座を獲得し、プロ8戦目で世界王座をも手中に収め、すでにここで目を患い、しかし、それでもその後に2度世界チャンピオンに輝いた辰吉選手…


ストイック…を通り越し、精根尽き果てるまで…という常人からすれば「狂気の沙汰」とまで表現される38歳の現役続行の果てに、我々はどのような態度で向き合うべきなのだろう…?


その試合詳細の一部が上にリンクの記事から垣間見えるので、ちょっと貼ってみます…


>元WBC世界バンタム級王者の辰吉丈一郎(38)がタイでの復帰2戦目で無残に敗れた。格下の同国スーパーバンタム級1位サーカイ・ジョッキージム(19)に1回から防戦一方。3回に左フックをまともに食らってダウンすると、7回にはセコンドからタオルが投入されて1分3秒TKO負けした。「もう1回やりたい。一から出直しや」と現役続行を希望したが、引退の2文字がちらつく厳しい現実を突きつけられた。

>「何回負けとるんや…。なにせ体が重かった。悔しいなぁ。パンチは見えなかった。相手が強かった。自分が弱かったから負けただけ」


>惨敗だった。昨年10月の再起戦では流れなかったテーマ曲「死亡遊戯」に乗って入場し、日本から駆けつけた300人の応援団から歓声が上がった。しかし、1回から相手のパンチを顔面に浴び、1回を終えると意識を失いかけたのか、赤コーナーの方向を間違え、セコンドに助けられた。3回には左フックを浴びて約10年ぶりのダウンで勝負の行方は決定的となった。


>「もう1回やりたいなぁ…。一からやり直しや」


…僕は幾度も辰吉選手の現役続行に触れてきましたが、それは人間として彼が選んだ道は尊重すべきであるし、それは誰にも侵すことはできない、という立場と、しかし、彼ほどのカリスマが事故やアクシデントに見舞われた場合、ボクシング界が蒙るダメージの大きさの危惧と、命さえ失いかねないのではないか?という恐怖の懸念、さらに、家族があり、指導者として新しいボクシング道もあるのだから、即刻引退し、後進の育成に励むべきではないか…?という二つの気持ちが混在していたのが正直なところであり、しかし、内実、引退すべき…の後者寄りの気持ちの方が若干強かった…とは告白させていただいておりました…


ボクシングはやるかやられるか…


カウンター一発で勝敗の明暗が分かれるし、カウンター一発が引き金となって命さえ落とす可能性のある切実極まりないスポーツなのだ…


さらに、激しい打ち合いの果てに蓄積してゆくダメージの深刻さは皆様もご存知のとおりで、殴られて死んでしまった脳細胞のほとんどが再生することはないとも聞く…


滅多打ち…されても気迫でダウンを拒否したであろう辰吉選手、7Rまで持ちこたえたこと自体、恐らくは奇跡的な事実だったのではなかろうか…?と、僕は記事を読んで感じたのだ…


自己実現…


その夢の実現…


こうありたいと願う自分をよりリアルに、より明確にそれを感じられる人間が、恐らくは「天才」と呼ばれる条件なんだろうな…と、僕はよく考える。


そうありたい…と願う自分の姿が常人以上にクリアに見えるから、そこへ直進できるのだ…


僕のような凡人には到底辿り着けない境地であるから、辰吉選手僕は憧れるわけであるが、しかし、これを見つめ続けることの辛さは半端ではない…


これほどの敗北を喫してもなお、それでも「一から出直しや」…とぼやいたそうであるが、その一言に彼の「生き方」が集約されているし、この土壇場で、この一言をファンに届けた…という痛みを伴う重みを考えてみる…


それしか見えない…


彼は、選ぶことも、選ばないこともないのだ…


選択の余地はなく、それが彼なのだ…


天性の才能と、天性の狂気…を兼ね備えたこの「ボクサー」に、畏敬の念を感じる一方で、まるで理性を失ってしまったかの彼の行動に愕然とし続けてきたわけでありますが、僕も腹を決めた…


もう充分だ…


もうこれ以上飲み干せない…


大好きだから、拒否だ…


が、いつかのリチャードソン戦やシリモンコン戦は死ぬまで宝物だし、そのボクシングは永遠に語り継がれる輝かしい伝説であることに変わりはないのだ…


しかし、彼はまだ戦いを求め続けるのであろう…


家族の胸が張り裂けようが、かなりの危険を伴おうが、彼は戦いを求めるのだろう…


そして、我々もまた、悶え続けるのだ…


「俺は俺の生きたいように生きてるだけや」


その言葉どおりの彼の『生き様』にまざまざと触れ、そして、奥歯を噛むのだ…


そして、延々と自問自答は続くのだ…


「俺は、俺自身が望んだ俺に近づいているのか?」


「俺は、俺らしく生きているのか?」


「俺は、本当にこの俺を『俺自身』であると胸を張って認められるのか?」




さて、こんな風に哲学的側面を鑑みるとこういう場所に僕は着ちゃうわけでありますが、しかし、プロボクシングというスポーツの在り方、という側面から見つめた場合、辰吉選手の今後の活動を放置するわけにも行かない政治的立場も存在しますね…


JBCの規定によれば、プロボクサーの定年は37歳であり、また、網膜はく離等の眼疾が発覚すればその時点でライセンスは失効するはずでありますが、辰吉選手のような実績がある場合、これを『特例的』に認めてきた…というのがこれまでであったわけでありますが、しかし、現時点ではその特例承認も辰吉選手の38歳の誕生日に拒否され、日本国内での試合開催は事実上不可能となっており、また、今回のタイでの試合開催にもその健康面の「再検査」をJBCは辰吉選手に求めていたわけでありますが、彼はこれを拒否して試合に臨んでるわけで、そういう意味では日本国内においては「ボクサーであってボクサーとして認められていない立場」であるのが実情であります…


上のあれこれは素人の僕が認識しているレベルであるので細部詳細にずれはあるかもしれませんが、しかし、現在の『彼』は『プロボクサー』…という枠から国内的にははみ出しているのが現実であり、ルールや規定を我々ボクシングファンも無視するわけにはいかないとも思うのであります…


そして、恐らくJBCは事故やアクシデントが起こった場合を想定して、辰吉選手に度々引退勧告を促していますが、それはまるで「もしものための既成事実作り」とも言われていますが、しかし、それ以外に方法もないか…とも確かに感じます。




さて、でも、さすがに辰吉選手がこの先、さらにリングに上がろうと願っても、その環境は整わない…ような気もします。


それが正しい…と感じる一方で、しかし、彼の「気持ち」の行方と崩壊を心配もしてしまいます…


でも、もう充分ではないのか?


ボロボロにされ、ズタズタにされ、自分のコーナーもわからないほど打ちのめされ、それもなお、『一から出直しや』…と彼はぼやいたのであれば、それで僕はもう充分過ぎるし、それでよしとしたいけれど…


御愛読感謝


つづく