
2024年2月18日に98歳で亡くなったユキ子さんの父さんの三回忌の法要が菩提寺の高岑院で執り行われました。高岑院の本堂の屋根には前夜来の雪が残っていました。

1926年(大正15年)生まれの父さんは98歳で逝かれました。写真は98歳の誕生日を『いわまる』の鮨で祝った時のものです。
枯れつくすことも人生悟らねば
亡くなられた翌日に届いた金曜俳句会の「十周年記念作品集 俳句とエッセイ」に掲載されていた父さんの「帰る雁」という80句の作品のおしまいの句です。
木の葉髪 くぐりぬけきし 修羅いくつ
父さんの句を母さんが書き、お二人で建てた句碑です。仲の良いご夫婦でした。

父さんが亡くなられる前夜に召し上がった夕食のおかずです。刺身好きの父さんのために、養田鮮魚店でマグロの中トロ、アジ、オオミゾガイ、ヤリイカを求めて設えた刺身の盛り合わせでした。きれいに召し上がっていただけたのを覚えています。早いものでもう2年経ちました。義父さんが亡くなられたときのことは2024年3月2日の記事で書いております。

昨日の朝、目覚めると窓の外は真っ白でした。屋根には2cmほどの雪が積もって凍っていました。家の前の道にもうっすらと雪が貼りついていました。

階下に降りて、表の道に面した猫窓から見たら、塀の笠の上にも、道にも雪が積もっていました。そして、すごく寒かったです。

それでも、町内の青年会は資源ごみの回収をするって広報車が知らせてくれましたんで、COCOに手伝ってもらって、古新聞や段ボールを結わえて、雪の残る道端に出しました。

三回忌の法要は10時半から、家を出るときに玄関先の水鉢はまだガチガチに凍り付いていました。

高岑院の本堂の前では、梅の花が咲き、ミモザのつぼみが膨らんでいました。

ユリノキにはすっかり種を飛ばし終えた去年の実の殻だけがたくさんに残されていました。ユリノキって、2000年ほど前までは日本列島に自生していたらしいのですがその後絶滅、今見ることができるのは、明治以降に北米から輸入されたものなのだそうです。

墓所の嶺霊園は雪が積もっているので、母さんとユキ子さんと私は墓参を遠慮しました。法要を終えて家に戻る途中、二階の窓から私を見ている猫がいました。特別な関係はありません。ただ見られていただけです。

昼過ぎ、ユキ子さんが時間があるというので川原町の『イルクオーレ』へランチしに出かけました。

窓の外の木の枝に小さなつららがブル下がっていました。昨日の前橋の最高気温は3.2℃でした。

「小鳥がいる」、ユキ子さんが見っけてくれました。スズメかな、カワラヒワかな…、忙しく動くんでなかなかよく分かりません。でも写真に撮れました、シジュウカラでした。

<夕方近くなってヒゲは「選挙に行ってくら」って出かけて行ったんだいね。ユキ子さんはお弟子の稽古が終わってから6時過ぎに出かけてったいね。寒いのにご苦労なこって…>

投票帰りの夕暮れ、終日寒い、荒れ模様の天気でした。義父さんの墓参りは、命日の18日までには行ってきます。母さんには無理させられませんから。

夕食はユキ子さんと二人だけなので在りもので済ませました。ミモザサラダです。キュウリ、ミニトマト、ブロッコリー、セロリを牛乳を混ぜたマヨネーズで和えて、裏ごししたゆで卵を散らしました。春のサラダです。

ホタルイカのニンニク炒めです。ネギと芽キャベツにお供させました。それとジャーマンポテトに残り物の鶏肉とひよこ豆とトマトのカレーを添えました。おいしかったですよ。
今朝も寒かったです。でもNiiSへトレーニングに行って、野菜の買い出しして…
ヒゲじいさんの連れ合いの三代目若柳吉駒でございます。
1937年(昭和12年)に祖母の初代吉駒が創設し、伯母の二代目吉駒から私に引き継がれた美登利会を主宰しております。今年の4月には第81回の舞踊公演を行うことができました、こんなに長く続けることができておりますのも、会を支えてくださる多くの皆様のおかげと、ただただ有り難く、感謝申し上げるばかりです。
また、きたる2月11日に東京の浅草公会堂で開催される東京新聞主催の『第100回記念 女流名家舞踊大会』に出演いたしまして、初代と二代目から伝えられました常磐津『芥大夫』を勤めます。
《最近の美登利会と吉駒リサイタルの舞台をご覧になりたい方は…》
第81回美登利会と第6回三代目吉駒リサイタルはこちらをご覧ください。
第80回美登利会と第5回三代目吉駒リサイタルはこちらをご覧ください。
第79回美登利会と第4回三代目吉駒リサイタルはこちらでご覧ください。
お稽古場は前橋市城東町、三代目吉駒をご紹介しますのでこちらをご覧ください。

