目に見えないものを感じる力は、

特別な力なのでしょうか???

 

 

 

 

 

目に見えるものの限界を知りつつ、

目に見えないものの力を感じ取り、

そこから得たメッセージを

目に見える形にしていくために

目に見えないものを感じ取る力を活かす。

 

 

 

 

本質の私を生きる」とは

目に見えるもの

目に見えないもの

真ん中に

私が在って、

そのどちらをも活用しながら生きることだ。

 

 

そんな風に思って

生きてみたら

今の現実は、

どうなっていくでしょう?

 

 

 

そんな実験、

興味ありますか?

 

 

 

 

 

こんにちは。

あなたの笑顔をプロデュース♡

助産師の なこ です。

 

 

 

 

 

『スピリチュアル』っていう言葉。

 

わたしは、

実は…

意味が良く分からなくって

「スピリチュアルだね。」とか言われても

「ん???どゆこと???」

って

頭ン中が、「はてな」でいっぱいになります。

 

 

 

 

 

目に見えないこと
目に見えない存在を信じることを
スピリチュアルといわれるのなら、
そうなのかもしれない。
と思います。
 
 
 
 
小さなころから、
感覚は鋭敏で、
そのせいなのか、霊感なのか
まったく良く分かりませんが、
目には見えないものを感じること
普通のことでした。
 
 
 
 
わたしの母方おじいちゃんは
お坊さんでした。
 
 
お坊さんといっても、
お寺の住職ではなく
霊感が強かった?ので
見えない神様や仏様とコンタクトをとって
それを、必要な方に伝えるという。。。
 
とっても説明に困るのですが、
そんな怪しい仕事をしてました。
 
具体的に説明がつかなくて
意味が分からない。
 
お経を唱えてたり
文字を書いたり
掛け軸を作ったり
そんなことをしていて、
それでどうやって収入を得ているのか
ほんとに謎でした。
 
 
 
 
すごく謎だったのに、
私もその怪しい血を受け継いだのか。。。
 
 
 
見えるわけじゃないけど
感じるというか。
人間じゃないのがそこに
「いる」というのは良く分かる子でした。
 
 
だけど、
見えないし聞こえないから
じぶんの感覚を信じられなくて
「怪しい」
そう思うことで
小さな心を、納得させてきていたようにも思います。
 
 
 
それでね、
おじいちゃんにも
「こういうのは誰でも見えてるわけじゃないから、
誰にでも言ってはいけないよ。
そうじゃないと、
精神病だって言われて
入院せんなんようになってしまうから。」
って、封印されてました~~~。
 
 
 
看護学校に行って
精神疾患を習った時に
確かに、
聞こえないものが聞こえてしまう
=幻聴幻覚
というのは「疾患」だと習い。。。
 
 
「やっぱりか~~~あせる
と思ったのと同時に
少し困惑あせる
 
 
 
が、看護の視点で見れば
日常生活を脅かしているほどではないなら
大丈夫ということなんだろうか?とか
未熟な知識のかけらを得て
思ったものです。
 
 
 
 
私は、ちゃんと言いつけを守ってたし
見えたり、聞こえたりってわけではなく
(つまり幻聴幻覚は、ない)
なんとなくそう感じる、
という種類のことが多かったのですが。
 
 
 
まあ、言わないだけで、
感じ取っては、いた、のですよね。
 
 
 
どんなこと感じるかといえば
 
ここは危険だ、とか。
 
あ、ここで、事故があったんだな、とか。
 
自宅の近くに
「まいづる引揚げ記念館」っていう場所があるんですが。
 
 戦後、シベリアなどから引き揚げてきた方々が
 日本に戻ってきた玄関口の港があって
 そこが記念館になっています
 
その辺一帯は、
過去にありし人の悲喜こもごも
様々な感情が濃縮されたように
エネルギーの濃度の差を感じます。
 
場所に対しても感じますが、
 
この人のコトバと肚のオモイはズレてる、とか。
表情と言葉と肚が違っている、とか。
 
この方のお産の時に
私は立ち会うことになりそうだ、とか。
 
この方を、
お看取りすることになるだろう。とか。
 
 
 
だけど、
感じたところで、
それが何の役に立つのかと。
 
 
そういう、
無力感というか、
むしろ
迷惑だな~~~という感じ。
 
例えば
好きでもないお土産を頂いて、
捨てるに捨てれなくって困惑。。。ショボーン
 
あっても困ります。。。
という。
 
そんな感覚を
長年、持っていました。
 
 
 
少なくとも、
おじいちゃんのように、
あからさまな能力というものでもなかったので
中途半端やな~~~
という感覚が、いつもあって
 
 
それで、
自分自身にはいつも
中途半端な感じ
不足している感じを持っていたのです。
 
 
 
そんな不足感を埋めるように
「エビデンス命」
みたいな医療の現場に
飛び込んで、
そこで、
じぶんの感覚で感じていることを説明しうる
共通言語を身に着けることに
ものすごい満足感を得ていたのかな。
とも思う。
 
 
 
 
エビデンスがあることに対しては
本当に安心する。
 
 
なぜなら、
共通理解があるから。
 
 
どこに行っても理解を得られるものだから。
 
 
でも一方で、
エビデンスにない事柄に対する
不信感や排除の感覚
というものもとっても強くて
 
 
 
エビデンスがないものというもの
見えないものを徹底排除していた
医療看護の現場に入った初めの10年間。
 
 
 
私は、
私の中の見えないものを徹底排除していた
10年間だったと
いま振り返ると思います。
 
 
 
その結果、
見えないものを感じ取る自分を否定し、
ネガティブな影の自分を消し去ろうとし、
体も心もバランスを失ってしまっていたのです。
 
 
 
死んだようになったところから、
また10年間、回復過程をたどって
いまに至るのです。
 
 
その過程とは、
 
徹底排除していた
見えないものを感じ取る力の回復過程とも言えます。
 
 
見えないものを感じ取る力を認めて、
思い出し、
その力を最大限、
自分の幸せのために使う訓練を行う過程でした。
 
 
その過程は
私にとって貴重な体験ですが、
私の世界をつくるほかの人たちにも
役に立つ情報なのかも。
 
そんな風に思います。
 
 
その過程に現れてくれたのが
「子宮の女神様」
なのですよ。
 
子宮の女神を覚醒させる1dayワークショップ
 令和元年 10/23(水)10:00~
@神戸市兵庫区 グローアップスペースAoi 
ブログ記事はこちら
 
 
心を込めて、
お届けしたいと考えています。
 
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ご縁のある方に届きますように。
 
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