お昼を食べてから海岸線に入り仏ヶ浦に来ました。
片道600mの断崖を遊歩道で降りていきます。
昨日から羽虫が凄くて、北海道に行く人ならわかると思いますが、SFのアステロイドベルトかってぐらいパチパチ当たって大変でした。
遊歩道を歩くにしても虫が寄ってくるので、キャンプ道具の蚊取り線香を取り出して歩きました。w
ハアハア言いながらやっと降りてきました、道は整備されているので楽なんですが、600mの階段と坂はしんどい。
降りたら遊覧船の波止場があって遊覧船でも良かったかなと軽く後悔w
まあでも頑張って歩いただけの価値はありました。
船だとゆっくり出来ないので良かったと言い聞かせる。w
カメラにも写るぐらい虫が飛んでたんです。
蚊取り線香バリアのおかげで僕はマシだったが、なんか線香臭いにおいがすると観光客にバレてました。w
ウミウシめっちゃキモい、他にもウニやらエビやら一杯干潮で岩に取り残されていました、古代の人はきっとこういう天然の生簀で貝やら魚を取ってたんでしょうね。
願掛岩
縁結び神社があります。
正直言うと岩にあんまり興味がありません。
疲れたので休憩で津軽海峡文化館アルサスに寄ってみました。
セブンイレブンもバッタモン、セブンテン
赤十字の里と言う垂れ幕と中に三上剛太郎さんと言う人の生家があると言うので見に行きました。
三上剛太郎の生家、開館してませんでした。
HP:より
1869年(明治2年)11月15日、代々医家である佐井村三上家の8代目として誕生しました。
1884年(明治17年)上京、三田英学校(現錦城学園高校)に入学し、医師への第一歩を踏み出しましたが、在学中に文学者森田思軒の影響を受け、次第に文学へ傾注し読売新聞社社会部記者になりました。
1893年(明治26年)父が亡くなり再び医師への道を歩みだしました。翌年1月済生学舎(日本医科大学)に入学し、1895年(明治28年)医師開業免許を取得、同年佐井村に帰村して三上医院を開業しました。
1905年(明治35年)日露戦争の際、満州(現中国北東部)へ軍医として従軍しました。戦場でロシア軍に包囲され、今まさに攻撃を受けようとしていた仮包帯所に「手縫いの赤十字旗」を掲げて、ロシア兵を含む多くの負傷者の命を救いました。
窓から撮影。
ここから観光船に乗って仏ヶ浦まで行くことが出来ます。
そして10年ぶりに大間崎に来ました。
2014年9月以来。
この写真は次の日の朝に撮影、干潮です。
こっちも次の日の朝に撮影。
こちらは次の日の朝、観光客が居ない。
10年経っても変わってないな。
大間には無料のテントサイト(焚き火禁止)があって管理棟のトイレもウォシュレット付きだったり、100円でガスコンロが使えたりと設備が整っています。
お家を完成させてから10年前にも行ったお店で晩ごはん。
今回はまぐろ丼じゃなくて刺身定食にしました。
タコ串が美味そうだったので注文。
10年前にも来た話をしたら、サービスでパンくれました。
また10年したら来ますと言ってお風呂に入りに行って就寝。
次の日の朝は曇り空。
誰も居ない。
津軽海峡フェリーが出港してました。
3日目も順調に走れて大満足。