片山晋呉プロと江連忠コーチ | 電車で酔いどれゴルフのブログ

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2021-02-07 21:28:22

2021-02-08  08:14更新

2021-02-13  19:21更新

プロデビュー当時の片山晋呉の厳しさを江連忠コーチと語りました

 

 

 

オーガスタを共に歩んだ戦友とのマスターズの思い出が止まらなくなりました【マスターズトーク】

 

 

 

2001年マスターズ 

初出場の片山晋呉プロは75-70-73-74の+4で40位タイ
優勝はタイガーウッズの16アンダー。
日本人選手では伊沢利光プロが10アンダーで4位タイでした。

 

 

片山晋呉プロのマスターズ全成績

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2001年  T40
2002年  CUT
2003年  T37
2005年  T33
2006年  T27
2007年  T44
2008年  CUT
2009年  4
 

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江連忠コーチと片山晋呉プロの出会いは1995年から。

 

1995年プロテスト合格(1995年10月06日プロ入会)

1995年賞金ゼロ        賞金王尾崎将司

1996年賞金ゼロ        賞金王尾崎将司

1997年賞金ランク55位    賞金王尾崎将司

1998年賞金ランク22位(1勝) 賞金王尾崎将司

1999年賞金ランク8位 (1勝) 賞金王尾崎直道

2000年賞金ランク1位 (5勝)

 

 

米PGAツアーの1993-2000年賞金王
===
1993年ニック・プライス(4勝)
1994年ニック・プライス(6勝) 全英オープン/全米プロ
1995年グレッグ・ノーマン(3勝)
1996年トム・レーマン(4勝) 全英オープン
1997年タイガー・ウッズ(4勝) マスターズ
1998年デビッド・デュバル(4勝)
1999年タイガー・ウッズ(8勝) 全米プロ
2000年タイガー・ウッズ(9勝) 全米オープン/全英オープン/全米プロ

 

※片山プロのプロ入り後の最初のコーチが江連忠コーチ。

 

※2003年からの二人目のコーチの谷コーチと作ったスイングも

江連忠コーチと作り上げたスイングをブラシュアップしただけのような感じ。

 

※2013年、谷コーチと離れた後、再び江連コーチとタッグを組み、飛距離アップに取り組む

 

※その後はyoutubeなどで調べ何人かのコーチとピボットターンスイングに取り組んでいる片山プロ。

 

片山プロにとってまだ自分が賞金を1円も稼いでいない時期のときのコーチが江連忠コーチ。

その他のコーチは賞金王になってから。

その意味で思い出深いかもしれません。

 

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全然、レベルは違いますが江連忠コーチが浜田山の練習場でラーニングゴルフスクールを立ち上げてすぐの1995年に私は江連忠コーチに習っています。

 

(奇遇にも片山晋呉プロと同じ時期)

 

(この頃、内藤雄士コーチはまだコーチを始めていなく、ラーニングゴルフスクールのマネージャー的存在でした)

 

(この当時、江連忠コーチのサポートをしていたのは高校時代の同級生の永井コーチでした)

 

(この他にも若いスタッフが何人かいましたがその中にもしかしたら谷コーチなどもいたかもしれませんが覚えていません)

 

(そのときにもらったラーニングゴルフスクールの文字が入ったタオルをまだ持っています、

バスタオル替わりに使用(;^ν^))

 

1994年のKBCオーガスタ4位になった当時の新鋭、江連忠プロのレッスンを週刊ゴルフダイジェストで募集していてそれに抽選で当たり、江連忠プロのレッスンを受講しました。

 

現役ツアープロの指導を受けられるという感じで応募したのですが江連忠プロは米国でトップコーチとして有名なジム・マクリーンのゴルフスクールのティーチングスタッフもしていた事をそこで知りました。

 

その時にベンホーガンの首筋からの鏡のプレーンは知っていましたがオンシャフトプレーンという言葉は江連忠コーチに初めて聞きました。

 

1995年最強だったニック・プライスのスイング動画と比較され、ニック・プライスはオンシャフトプレーンに上がって、オンシャフトプレーンに下りるスイングという解説を熱くしてもらった事を覚えています。

 

(今、ニックプライスのスイングを見るとハーフウェイバックまではオンシャフトプレーンに上げて、それからヘッドはややアップライトに上昇、切り返し、ダウンスイングでシャフトプレーンに乗ってますね。そしてフォローも見事にシャフトプレーンに平行に)

Nick Price driver

 

 

Nick Price - JC Video Slow Motion

 

 

Nick Price. Perfect swing!

 

 

Nick Price hits a tee shot at Pebble Beach Golf Links - HD

 

 

 

クラブフェイスをシャットにバックスイングをしろという言葉も江連忠コーチからのアドバイスでした。

 

この1995年当時にシャットにバックスイングは珍しい表現でした。

 

江連忠コーチのレッスンはその後、2回受講、計3回受講しました。

 

★浜田山の練習場にあるショートコースでのショートゲームレッスン会で一緒にショートコースをラウンド、

 

★1996年春にグランディ那須白河ゴルフクラブ(当時はザ・グリーンブライヤー)で合宿ラウンドレッスン

 

一緒にラウンドした江連忠コーチはまだ現役ツアープロでもあったので飛ばしまくってました。

 

ジャック・ニクラス、トム・ワトソン全盛時代にゴルフを始めた私にとって当時の江連忠コーチはとてもフラットなスイングという感じがしました。

 

でも、オンシャフトプレーンを意識するとややフラットなスイングにはなりますね。

 

もう25年~26年前の話。 

 

この頃は私も仕事が忙しく、毎日始発、終電、休日出勤でしたのでわずかな隙間で習ったときの思い出。

 

この頃、サラモン&テーラーメイドのテレビ東京の人気番組の「スキーナウ!」に習ってか「ゴルフナウ!」という番組があってそこに江連忠コーチが毎週出演していました。

 

江連忠コーチのアシスタントはプロスキーヤーの上原由(ゆかり)さんでした。

 

ski now 96 #11 ski file 231 上原 由

 

 

 

 

この当時は江連忠コーチが最先端という感じはしましたが今はどうでしょう??

 

彼の行動から判断すると単なる流行にはあまり関係ないという感じ??

 

昔はオンシャフトプレーンに上げてオンシャフトプレーンに下ろす理想を追求しすぎて少し機械的な感じもしましたが最近は柔軟な考えもあるような感じ??もします。

 

素人なのでよくわかりませんが・・

 

と言うか、最近は週刊ゴルフダイジェストの彼を主人公とする連載漫画でしか知らないかも(汗)

 

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2003年PGAレポート

 

江連忠ゴルフアカデミー
江連忠、プロを指導する日本一のスーパーコーチ

2000年シーズンの賞金王・片山晋呉のコーチ役として一躍脚光を浴びた江連忠プロは、その後も多くのプロや研修生を指導して手腕を発揮、今や“日本一のスーパーコーチ”“カリスマ・コーチ”などの異名をとる“最も旬なコーチ”といわれています。
 

 

江連忠コーチは2000年の片山晋呉プロに始まり、連続して賞金王のコーチとして貢献しました。

1996年初代ゴルフダイジェスト レッスン・オブ・ザ・イヤーに始まり、

一気にプロコーチとしての地位を築いた江連忠コーチでした。

 

2000年片山晋呉プロ

2001年伊澤利光プロ

2002年谷口徹プロ

2003年伊澤利光プロ

 

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片山晋呉プロ対談企画スタート! デビュー当時2年間の挫折があるからいまがある!その礎について語る!成功へのプロセスを初公開!

 

 

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以下の動画の6分30秒過ぎからマスターズ初出場初日のティーアップの時の話。

キャディは当時のコーチの江連忠コーチ

【対談】オーガスタは運営もメンバーさんも規格外すぎで話が止まらなくなりました - 【マスターズトーク ②】

 

 

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プロゴルファー江連忠がチャンネル開設!記念すべき初投稿はソニーオープンのツアーレビュー!

 

 

プロゴルファー江連忠がゴルフトーナメントの観戦術を語る!参考にすればちょっと通な見方ができるかも!

 

 

「読む」ことはスコアアップにつながる!?プロゴルファー江連忠のEZCHアカデミー[国語]

 

 

 
余談
 
浜田山の練習場出身コーチ
 

 

 

『ハイランドセンター関係の主な有名ティーチングプロ
江連忠、永井延宏、内藤雄士、谷将貴、井上透、星野豪史、植村啓太などなど

この中でJGAツアープロテストに合格して
トーナメント出場したのは江連忠。
彼は米国で有名なコーチ、ジム・マクリーンのスクールでもインストラクターをしていました。
ハイランドセンター出身のコーチは江連忠の影響が大きいと思います。

 

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永井延広コーチは1995年ハイランドセンターでラーニングゴルフスクールを立ち上げた江連忠コーチのスタッフとしてゴルフコーチを始めました。

 

24歳のときに米国でゴルフ修行、帰国後に高校時代のゴルフ部仲間(主将永井延広、副将江連忠の間柄)のゴルフスクール立ち上げに協力。

 

『―帰国後はどうされたのですか?

N・当時は江連プロが杉並の「ハイランドセンター」でスクールを出していましたので、とりあえずそこでインストラクターとしての活動を始めました。それと同時に江連プロのマネージャーみたいな役割も果たしていたので、メディア関係の仕事などでは貴重な経験をさせて頂きました。

 

ほぼ同時期に働き出したのが谷将貴さんです。谷さんと私は全くタイプが違いますが、何故か一緒に試合に行くことだけでなく、夜の吉祥寺とかに繰り出していました・・・!当時彼はそのルックスからか(?)女性の生徒さんが多かったですが、コンパクトでフェースの開かないきれいなスイングをする生徒さんが多く、とても上手く生徒さんを導いているなと感心していました。

 

谷さんもユタ州のゴルフスクールに留学していて、その関係で2008年度レッスンオブザイヤーの井上透さんや星野豪史さんなども遊びに来ていました。ご存知だと思いますが、その頃の「ハイランドセンター」のマネジメント役は内藤雄士さんで、武田登行プロは毎日練習に来ていて、ジュニアクラスには植村啓太さんがいました。これだけの人が集まっていたこと自体、信じられませんね! 

―今、このメンバーが揃ったらスゴイことになりますね! 

N・そうですね。伝説のロックバンドというより「トキワ荘」の方が近いかな・・・。私が言うのもなんですが、「歴史はそこから始まった」みたいな部分はありますね。今は皆さんそれぞれ個性を生かした活動をされていると思いますが、そのうち同窓会が出来るといいですね。』

 

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