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作家の東田直樹です
現在31歳。
自閉症という障害を抱えています。
記憶というものは
記憶というものは、ひとりひとり違うものではないでしょうか。
なぜなら、その人の頭の中にあるものだからです。
記憶は、事実だけで成り立っているわけではなく、それに自分の気持ちや過去の思い出が積み重なっています。
僕は、自分が時間軸の中で、どの位置にいるのか、よくわからないのです。
だから「思い出して」「この前やったよ」などと言われても、
(そうなのか)と思うだけで、それがいつのことだったのか、何をやったのか、みんなのようには思い出せません。
場面としての記憶
記憶の中に自分の姿は現れないのに、みんなはどうやって、記憶を思い出しているのだろうと考えることがあります。
僕も場面としての記憶はあります。
でも、場面としての記憶があっても、そのシーンのひとつずつがつながりません。
だから、言われている通りには、思い出すことが難しいのだと思います。
みんなの記憶は、まるでトランプの七並べをしているみたいだと思うことがあります。
一方、僕の記憶はいつまでも当たらない神経衰弱のゲームをしているようなのです。
思い出したシーンと同じように
「○○をしてください」と言われたとき、僕は頭の中にある過去の場面の中から、同じような場面を探そうとします。
でも、全く同じ場面は存在しません。たとえば場所が同じでも、いろいろなことが少しずつ違うからです。
あれでもない、これでもないと似たような場面を探すことに、時間がかかってしまいます。
思い出す場面は成功体験の場面でなければいけません。
これかなと思う場面が見つかれば、思い出したシーンと同じようにやってみようと思います。
だけど、なかなかうまくいかないのです。
どうしてうまくいかないのか。
それはきっと、思い出した場面通りに再現しようとするからではないでしょうか。
練習すること
今の状況が、思い出した場面と似ているからといっても、すべてが同じではありません。
すべて同じではないから、結局は自分の頭で考えながら、動かなければならないのです。
自分では動けないから、過去の場面に頼ろうとする。
過去の場面に頼るから、自分では動けない。
記憶を並べるのが苦手なために、すぐに思い出せないうえに、前にどこまでやったかがわからないのです。
それでも、練習を続けることで、できるようになることもあります。
経験を積み重ねることは苦手ですが、習慣化することで、身につくものがあるからです。
練習することの何もかもが無駄なわけではありません。
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