例年より早い春の訪れで

花を見るのが忙しいですね。

桜が咲いているうちに花桃まで咲いてしまい

ライラックまで開いてきていて

その上、新緑まで芽吹いています。

例年より一ヶ月近く

早まっている感じがします。

花が咲いたら見に行かないと

あっという間に終わってしまいます。

 

うちの庭にもたくさんの花が咲きます。

母と買い物に出掛けて

帰って来て階段を上がると

スイセンやヒヤシンス、花桃など

たくさんの花が咲き 黄色い花 コスモス チューリップ紫

とてもきれいです。

けれど母は花を見ず、

園芸好きの父がそこら辺に広げた

土や園芸道具が気になり

「こんなに散らかしやがって」とムキーむかっ

怒って文句を言っています。

 

同じ景色を見ているようで

違うものを見ているのです。

 

うちの母は昔からこんな調子です。

素敵なものより不快なものばかりを

気にして見て文句を言うのです。

 

なのでいつも私は

「ほら、花が咲いているよ。きれいだね」

「ほら、これおもしろいよ」

と、母が気付いていないものに

目を向けようとしてきました。

 

人生もこれと似ていると思うのです。

 

人生の旅の道端には

花もゴミもあります。

ゴミばかり見て歩くのか

小さな花を見て歩くのか

選んでいるのは自分です。

 

小さな花は小さな幸せを表わしていて

例えば天気が良いとか

それで洗濯物がよく乾いたり

風が気持ち良いとか

美味しいものを食べたとか

ネコが可愛いとか

日常の中にたくさんあります。

 

幸せと言うと多くの人は

どこかにある一面の花畑のようなものだと

考えると思いますが

私は違うと思うのです。

 

道端の小さな花に気付けない人は

決して一面の花畑にはたどり着けず

小さな花をたどって行けば

徐々に花が多めの道に

なってゆくのでしょう。

 

その先に一面の花畑があるかは

分かりませんが

いつもどこかに咲いている

小さな花を見逃がさずに

歩んでいきたいと思います。