私は子供の頃、

かなりおとなしかったせいか、

よくいじめられました。

 

みんなから、というわけでなく

何人かの特定の男子から執拗に。

今でも思い出すと

はらわたが煮えくり返るくらいに

怒りを覚えていました。

 

私はあまりにおとなしいので

いじめられる理由を、

「奴らは私をつっついて

反応を見て楽しんでいたるんだ」と

思っていました。

 

話は変わりますが、

二年くらい前に小学校の同級会があり、

そこで一人の男子から

「昔、higaminekoさんのこと、俺いじめてた…」

と申し訳なさそうに言われ、とても驚きました。

そのM君からは、当時、

「そんなに遅くまで給食食べてると、

夕方になってみんな帰っちゃって、

カギ閉められるぞ~」等、

色々言われましたが、

私は「M君は心配して言ってくれているんだ。

優しい人だな。」

と思っていて、いじめられたとは

これっぽっちも思っていなかったからです。

 

話は戻ります。

最近、小学校時代の夢を見ました。

私は、ある一人の男子に向かって

「T君は私のこといじめてたんじゃなくて

心配してくれてたんだよね。」

と言っていました。

夢を見ながら、私は

「違うよ、これはA君じゃなくて

M君に対して思ったことだよ~!」

と叫んでいました。

(T君は私を執拗にいじめていた

いじめっ子ではなかったけど、

転ばされたことがあり、恨んでいました。)

 

目が覚めて、ハッと気づいた。

もしかして皆そうだった!?

いじめっ子は皆、M君と同じだったの?と。

 

私があまりにおとなしいから、

「お前、そんなにおとなしくて

どうするんだよ。もっと強くなれよ。

反撃して見ろよ。」

「強くなれよ、世の中には

俺みたいな悪い奴がいるから、

もっと強くなれよ。」

 

そんな心配というか、親心のような気持ちで、

ただ子供だから、そんな幼稚な表現の仕方しか

できなかったのかもと。

 

きっとその男の子たちは、

親から「強くなれ、しっかりしろ」

と言われていたのかも知れません。

だから弱くてしっかりしていない私を許せなくて

いじめてしまったのかも知れません。

 

その子たちの親は愛情から

「強くなれ」と言っていたのでしょうから、

つまり私へのいじめも

大きな意味では愛情から、

ということになるのでしょうか。

 

「愛」だったんだ。

 

その後、さらに気付いてしまった。

自分の中にその〝いじめっ子〟がいたことに。

 

自分の中にいる「きびしい自分」。

いつも自分に対して

「強くなれ、逃げるな、立ち向かえ!」

と追い立てている自分がいました。

なんだ、私、今まで自分で自分のこといじめていたのか。

いじめっ子のこと、もう責められないじゃん!

 

これだって自分に対する愛情から来ていた。

放っておけば引きこもりになりそうな自分を叱咤していた。

でもそのおかげで、いろんな所へ出て行って

いろんな人に出会い、いい経験ができた。

 

もっとも、イジメの理由は

人それぞれで、誰もがこうだとは思いません。

 

もし、タイムマシンで若い頃の自分に会って

この話をしたとしても

絶対に納得しなかったと思います。

いろいろ経験し、長く生きたからこそ

ようやくこの境地にたどり着けたのだと思います。

それほどイジメの傷は深いということでしょう。