事の顛末①音楽をやめようと思った話 | ロールオーヴァー三文文士

ロールオーヴァー三文文士

日々、ストレス社会で悶えている破滅型ロックンローラー、天井崇仁のキュートな日常

昨年のLABORATORY'S企画、非国民フェスティバル。
15年くらいの音楽活動の中で歴代ワーストと言えるライブをした。LOOKの傍のドブ川を見ながら一頻り泣いた。

翌日、私は脳神経内科へ行った。
予想は的中、『フォーカルジストニア』と診断された。
私の場合は、人指し指が押さえられない、中指が指板から離れないという症状である。
したがって、バレーコードはもちろん、人指し指を使うコード全般を失った。

違和感が出始めたのは、サードミニアルバム、昨夜のすべてをレコーディングしている時だった。はじめは練習不足かなと思い、朝晩ギターを練習するも日に日に弾けなくなっていく(練習すればするほど指が動かなくなっていくのは典型的なジストニアの症状だそうな)。
だましだましギターを弾き続けるも、昨年の10月、遂にバレーコードが弾けなくなった。ニシキフェス当日朝、武田に『全くもって弾けない。ハンドボーカルにするしかない。』と頼みこんで、急遽ギターを置いた。

診断後は地獄である。

バンドの見え方にも影響出ることから、病気のことは伏せることとなり、そうなると『ギター弾けないくせにステージ上がんな、練習しろ』、『なんでわざわざハンドボーカルやってんの?それがいいと思ってんの?』と思われてる気がして毎回のライブは苦痛以外の何物でもなかった。正直に言うと、以前からデカダンレトリヲを知ってるお客さんには、誰一人として来てほしくないとすら思っていた。

フォーカルジストニアがいかに絶望的かを説明すると、まず治療法が確立されていないことである。また、発症したミュージシャンの半分は楽器をやめると言われていること。完治した、という話がネットでほぼ見当たらないこと。
先が見えない。
何より、2度とギターを弾ける気がしない。
詰んだ。音楽やめて別のことを始めた方がいいんじゃないか、30歳にして第2の人生を歩んだほうが有意義じゃないだろうか、と思っていた。随分と暗澹たる気分で年越しをしたものである。

どこでどうスイッチが切り替わったかは覚えてないが、出来うる限りの治療をし、それでも治らないなら観念してキッパリ音楽やめようと思った。
『治療に専念したいから、無期限でバンドを休止にしたい。2年くらいはかかると思うから、その間は俺抜きでやってもらっていい。戻れなかったらごめん。』と話したが、『3人でやることはまずない』との返答だった。
3月のライブをもってデカダンレトリヲは無期限で休止に入った。

何故この話を今さらするのかというと、この難治性の病が約一年をかけて着実に治ってきたからである。もう少し時間はかかるが、覚えている方がいたら気長に待っててほしい。スタジオにはガンガン入ってる。

こんな面白い時代に音楽しない手はないよね。


次回弾き語り!
3番手、20時20分から!
11か月ぶりのフル尺弾き語り!

【Buzz With The Fuzz】
12月22日(火)
東高円寺U.F.O Club

LIVE:
▼NEKOBERG
▼向井元志郎
▼天井崇仁(デカダンレトリヲ)
▼居間人井上
OPEN 18:30~ START 19:00~
ADV.¥2000(D別) DOOR.¥2300(D別)