被収容者が国を相手に訴訟する場合に、国側の訴訟の対応について、取扱いが通達されているので以下に添付します。

 

内規のほか、法律には、国の利害に関係のある訴訟についての法務大臣の権限等に関する法律(昭和二十二年法律第百九十四号)

最新の改正(令和3年法律第36号による改正)施行日:令和3年9月1日

というのがあります。

 

その他行政訴訟であれば、行政訴訟事件法(昭和三十七年法律第百三十九号)

最新の改正(令和5年法律第32号による改正)施行日:令和6年2月16日

があり、訴訟において適用されます。

 

収容者提起にかかる訴訟の取扱いについて

 

この通達は早急に改訂されるべきであると解される。

 

刑務所側の運用では、出廷させるか否かは、個々の具体的事案に応じて判断されていることで、認められている例もあるものの、特段の事情がない限り、ほぼ出廷を認められることはない。

 

なお出廷させないことについて訴訟を起こしている例もあるが、いずれも棄却されている。

しかし、憲法32条、82条1項により保障されている裁判の権利の理解として、東京地判1987年(昭和62年)5月27日判決では「憲法32条、82条1項の規定は、直接には、裁判所に訴訟を提起して権利利益の保護を求めることを保障し、又は裁判の対審及び判決を公開の法廷で行うべきものとしているものであるが、これらの規定の趣旨及び憲法13条の規定の趣旨に照らせば、裁判所に訴訟を提起した者につき裁判所に出頭する自由を保障しているものと解される」と判示し、出廷権(出廷の自由)の憲法上の権利性を認めている。

かかることから、被収容者にも、裁判を受ける権利憲法32条(何人も自己の権利又は利益が不法に侵害されていると考えるときに、裁判所に対し、その主張の当否を判断し、その損害の救済に必要な措置をとることを 求める権利を有する。)の出廷権は保障されるというべきだ。

なお、一方で、全ての訴訟案件に対して出廷を認めていたら、国側の対応としても、人件費、時間、送迎にあたり逃走防止の見地から警護問題など対応仕切れないことも当然あると解さる。

裁判所の考えにおいても、①東京地判昭和45年12月14日(訟務月報 17 巻 4 号 66 頁)の判例では、受刑者であっても憲法32条の保障する裁判を受ける権利を有することはいうまでもないが、それは裁判所に訴えを提起する自由を意味するにとどまり、裁判所に出廷して自ら訴訟を遂行する自由までも含まれるものではない、として憲法32条の保障を否定した上で、「もとより、かかる自由も広い意味においては、憲法13条の保障する自由ないし権利に属し、できうる限り尊重されなければならないが、それは絶対・無制約のものではなく、公共の福祉による制約に服すべきは当然であり、特に、受刑者は、刑務所長の許可があった場合にはじめて裁判所に出廷できるものであって、刑務所長は、刑の執行という国家目的を達成するために必要かつ合理的な範囲内において、当該訴訟事件の種類、性質および出廷が刑の執行に及ぼす影響、護送の難易等を総合的に勘案し、合目的的に出廷の許否を決定する権限を与えられているものというべきである」と判示し、以後、札幌高決昭和52年9月26日判例タイムズ 364号205頁など多数の判例もほぼ類似の判断を示している。


②東京地決昭和62年12月28日及びその控訴審である東京高決昭和63年2月19日判例タイムズ 680 号 235 頁は、府中刑務所長が受刑者の出廷申請を不許可とした事案において、同様に、憲法32条は出廷権まで保障するものではないとし、その根拠として、「民事、行政訴訟については、訴訟代理の制度が定められており、自ら出廷することが必要不可欠なものではないこと」、「訴訟代理人を選任する費用のないものに対しては法律扶助等の制度が定められていること」を挙げている。

これに対し、③東京地判昭和62年5月27日(行裁集 38 巻 4・5 号 457 頁)は、 結論的には、「必要な人数の戒護職員の確保が困難」、「戒護に放置することのできない支障が生ずる相当の蓋然性がある」として出廷不許可処分を適法としたものの、理由中の判断において、「憲法32条、82条1項の規定は、直接には、裁判所に訴訟を提起して権利利益の保護を求めることを保障し、又は、 裁判の対審及び判決を公開の法廷で行うべきものとしているものであるが、これらの規定の趣旨及び憲法13条の規定の趣旨に照らせば、裁判所に訴訟を提起した者につき裁判所に出頭する自由を保障しているものと解される。」と判示し、憲法32条、82条、13条の趣旨に照らし出廷権の憲法上の権利性を認めていることでもある。

つまり、現段階の裁判所の考え方では、刑事被拘禁者本人の出廷権は、実質的には保障されていない状況であり、刑事施設長の裁量が大幅に認められていることであって、現在の刑事施設の慢性的な過剰収容の中で、戒護上の問題等を主張されれば、被拘禁者は、ほぼ出廷できない状況にあるというほかないことである。