仰天ニュースで、日航123便墜落事故の話をやっていて、カミさんと一緒に観ました。
Wikipediaによると
日本航空123便墜落事故は、1985年(昭和60年)8月12日(月曜日)、日本航空123便(ボーイング747SR-100型機)が群馬県多野郡上野村の山中ヘ墜落した航空事故。単独機での事故、また運航する航空会社の責任による事故では世界最悪の航空事故でもあった。
日航123便墜落事故の話は何度も記事に書いているが、私に関係するのは
ビル・ゲイツとトロンの戦い 2020-05-01
このように何度も記事にしているが、陰謀撃墜説は書いていなかった。
日本のOS、Tronが、アメリカとビル・ゲイツのMSDOSに潰されたのは有名な話だが
日航機墜落事故でTron開発の技術者17人が亡くなったのは、
これは知らなかった。
これで俄然、撃墜説が信ぴょう性を増してきた。
Tron が完成していたら、歴史が変わっていたのは間違いない。
私も今とは違うことになっていたかもしれない。
日月神示にも出会わず、このブログもやっていなかったかも。
誰かが歴史が変わるのを阻止するために事故に見せかけたと考えると恐ろしいものがある。
この中で
Tron が完成していたら、歴史が変わっていたのは間違いない。
私も今とは違うことになっていたかもしれない。
日月神示にも出会わず、このブログもやっていなかったかも。
これはマジな話である。
1985年に歴史の分岐が起こり、世界線が変わった、と言われても私は驚かない。
1985年と言えば、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が公開された年である。
過去記事で
私の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」 2020-06-11
今回は、タイトルの通り、私の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を語ります。
私の生まれた年は、1958年です。
1955年は、私の兄が生まれるかどうかの分岐点でした。
父と母が結ばれなければ兄の存在は消えてしまいます。
兄が消えれば、今の私も無くなるので、こうしてブログで日月神示の宣伝をする未来が変わってしまいます。
今の私は、1955年に未来像としてイメージ出来ていて、すべて計画通りに成ったのだと感じます。
多少の逸脱があっても、大局が決まっているので引き戻され、結果的には計画通りに成ったのだと思います。
バック・トゥ・ザ・フューチャーは、30年前に戻ったり、30年後に行ったりする話ですが、その中心にあるのは、1985年です。
1985年は、日本の80年サイクル説でも、ピークになる年で、バブル景気の始まりでもありました。
その40年前は終戦でどん底の時でした。
1985年の40年後は、2025年で、大災難で日本がどん底に落ちる予言があります。
私が生まれたのは、1958年で、1985年の27年前です。
1985年の27年後は、2012年で、私は、さばきの庭に入りました。
私が苦難の道に入ったのは、1973年で、1985年の12年前です。
1985年の12年後は、1997年で、私が夫婦の出船の型を実現した年です。、
偶然にしても面白いと感じたので、グラフにしてみました。
作画がへたで歪んでいますが、こんな感じです。
2025年が日本のどん底
その後は良くなると信じています。