日本人の心 | ひふみ塾 世回りブログ

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〈産経ニュースより転載〉

人間魚雷「回天」隊員が遺した「2分半の肉声」…円盤に刻まれた感謝と日本人の心
 


「父よ、母よ、弟よ、妹よ。そして永い間はぐくんでくれた町よ、学校よ、さようなら。本当にありがとう。こんなわがままなものを、よくもまあ本当にありがとう。 僕はもっと、もっと、いつまでもみんなと一緒に楽しく暮らしたいんだ。愉快に勉強し、みんなにうんとご恩返しをしなければならないんだ。」

「 春は春風が都の空におどり、みんなと川辺に遊んだっけ。 夏は氏神様のお祭りだ。神楽ばやしがあふれている。昔はなつかしいよ。 秋になれば、お月見だといってあの崖下に「すすき」を取りにいったね。あそこで、転んだのは誰だったかしら。 雪が降りだすとみんな大喜びで外へ出て雪合戦だ。 昔はなつかしいなあ。こうやってみんなと愉快にいつまでも暮らしたい。喧嘩したり争ったりしても心の中ではいつでも手を握りあって――。」

「 然し僕はこんなにも幸福な家族の一員である前に、日本人であることを忘れてはならないと思うんだ。日本人、日本人、自分の中には三千年の間受け継がれてきた先祖の息吹が脈打ってるんだ。鎧兜に身をかため、君の馬前に討死した武士の野辺路の草を彩ったのと同じ、同じ匂いの血潮が流れているんだ。 そして今、怨敵撃つべしとの至尊の詔が下された。十二月八日のあの瞬間から、我々は、我々青年は、余生の全てを祖国に捧ぐべき輝かしき名誉を担ったのだ。人生二十年。余生に費やされるべき精力のすべてをこの決戦の一瞬に捧げよう。怨敵撃襄せよ。おやじの、おじいさんの、ひいおじいさんの血が叫ぶ。血が叫ぶ。全てを乗り越えてただ勝利へ、征くぞ、やるぞ。 年長けし人々よ、我等なき後の守りに、大東亜の建設に、白髪を染め、齢を天に返して健闘せられよ。又幼き者よ、我等の屍をふみ越え銃刃を閃めかして進め。日章旗を翻して前進せよ。 至尊の御命令である。日本人の気概だ。永遠に栄あれ祖国日本。我等今ぞいかん、南の海に北の島に全てをなげうって戦わん。大東亜の天地が呼んでいる。十億の民が希望の瞳で招いている。 みんなさようなら!元気で征きます。」

人間魚雷「回天」の金剛隊員として昭和20年1月21日、ウルシー湾で特攻を敢行し、戦死した塚本太郎少尉=当時(21)、戦死後大尉=は自らの声を2分半にわたって円盤に残していた。

塚本少尉の弟の悠策さん(79)は「母親の遺品を整理していて偶然見つけた。淡々と語りかけるような口調で家族へ別れの言葉を残している」と話す。

当時9歳だった悠策さんには少尉に強烈な思い出がある。19年11月、久しぶりに実家に戻った少尉に胸ぐらをつかまれ、頬をたたかれた。

「両親のことはお前に頼んだぞと、たった1人の弟に言いたかったのだと思う。体でそれを覚えさせようとしたのだろう」

母親に、心境をつづった1冊の手帳も残していた。

「俺ハ立派ナ日本人ニナレレバ満足ダ。忠義一途ノ人間ニナレバ、ソレガ人ニ知ラレズニ消エヨウト、誤解ノ中ニ葬ラレヨウト、俺ハ満足ダ」

悠策さんは「手帳を読んでいると、国のために夢中になって、自分のことを考えていないことが分かる。今の人には全然ないことだ。そんな日本に歯ぎしりしている人はたくさんいるよ」と涙を浮かべた。



回天を考案した海軍機関学校51期の黒木博司大尉=当時(22)、殉職後少佐=は、妹の教子(のりこ)さん(88)に古事記を読むことを勧め、こう伝えている。

「皆が自分を忘れて御国(おくに)の為に捧げる日本の本当の姿にかえる日を未だ生まれない明日の日本、十年二十年後の日本の子供に望みをかけているのです…略…しっかりしっかり本当に心して勉学をしなくては駄目です…略…本当に御国の為を思う真心の勉強です」

黒木大尉は回天を考案する際、「問題は全く人にあり。決死捨身の覚悟なきにあり…略…特に中央の怠慢は国賊というの外なし。戦局今日に至りし所以(ゆえん)、全く物にあらず人にあり」と人材不足を嘆いていた。

妹への手紙からは、死を決意した黒木大尉がいかに子供たちへの教育の重要性を感じていたか、どんな気持ちで妹にその後の日本を託したかが伝わってくる。



特攻を敢行した第72振武(しんぶ)隊の荒木幸雄伍長=当時(17)=の兄、精一さん(88)は戦後70年の現実をこう憂える。

「70年の間に日本人として、大事なものが欠落してしまった。一番大きな問題は心の問題。例えば、毎日のように悲惨な事件が起きている。日本の心の文化がなくなってきている」

近年、荒木伍長らと同世代の若者が関係する殺人事件や自殺が続発している。親が子供を、子供が親を手にかける事件も。伍長らはそんな今の日本をどう見ているのだろうか。


多くの特攻隊員は遺書などで、感謝とともに「後に続くを信ず」と書き残している。この言葉を最初に言い残したのは、ガダルカナル島で戦死した第38師団歩兵第228連隊の若林東一中隊長といわれる。死が間近に迫った瞬間、若林中隊長は何を思ったのか。勝つまで戦争の続行を信じるという意味なのか、それとも、日本の歴史と文化、精神を守ることや日本の復興を託したのか。特攻隊員たちの最後の言葉をみると、「将来を託す」強い思いが伝わってくる。

筆者が触れることができた特攻隊員や遺族の言葉はほんの一部にすぎない。だが、自らの命を差し出すことで、家族を、愛する者を、日本を守るという逃げ場のない自己犠牲の精神を感じざるを得ない。

想像を絶する苦悩を克服し、肉親との恩愛を振り切って、従容(しょうよう)な態度で出撃したのである。特攻を美化するあまり、特攻隊の誠に気付かず、彼らの心情や「将来を託す」思いを見過ごしてしまうことを恐れる。(編集委員 宮本雅史)

〈転載終了〉



私たちは先人、英霊から日本人としての精神を受け継ぎ、素晴らしい祖国、日本を残してくれたことに感謝し、誇りに思い日々を生きていかなければなりません。

そういった教育を学校では教えてくれません。

学校教育ばかりに頼らず、気づき始めた我々大人たちが代々子供たちに語り継いでいかなければならないと思うのです。

先人、英霊がどのような気持ちで我々に日本を託したのかを忘れてはなりません。




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