前回の記事の続きがめちゃめちゃ長文になってしまったので
再構築してる間に友人から聞かれたことの答えをここに書いてみる。
「しあわせに"なる"」
って便宜上書いてきたけれども
実際「しあわせ」って
「なる」ものじゃなくて
「在る」ものだと思う。
そもそも
「私はしあわせになる!」
っていうのは
私は今現在は幸せじゃありません!
て宣言してるのと同じこと。
(すでになってたら「なる」とは言わないからね)
だから「しあわせになる!」と決めたら
その瞬間からしあわせな在り方でいるのがいい。
大きな窓の外に緑が溢れてる好きな場所♡
「しあわせで在る」のは
持ち物やパートナーや環境がどうであっても
いつでも今すぐでも実現できること。
「〇〇があったら幸せになれる」
(お金、パートナー、ブランド物、高級車、etc)
「〇〇になったら幸せになれる」
(お金持ち、愛され妻、正社員、美女、スリムな体型、etc)
そうやって「しあわせ」に条件をつけていると
その条件から外れた瞬間不幸になってしまう。
それらを手に入れた瞬間は幸せになれても
次は失う恐怖にさいなまれたりする。
私は人間
私は女性
私は日本人
っていうのと同じくらい
私はしあわせ
を自分の中で当たり前のことにしちゃう。
これね~、最初ぜんぜんわからなかったんですよ。
ポジティブシンキングで無理やり
「私は幸せです!」
って思いこむことなのかと思ってた。
でもそうじゃなかった。
「しあわせとは?」
伊藤にとっては「安心していられること」です。
それは決してイヤなことや悲しいことが起きないということとは違います。
私はしあわせで在るから
「しあわせ」
という絶対領域の中で
安心して悲しめる
安心して喜べる
安心して怒れる
安心して感謝できる
安心して病気と向き合える
安心して元気に活動できる
何があってもなくても
どんなことが起こっても起こらなくても
「私のしあわせ」
には差し支えない。
そのうえで起こる感情を
安心して味わい楽しむことが
「生きている」ということ。
それが腑に落ちてから本当に揺らがなくなったよ。