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Hidsy's Chronicle

お気楽・極楽(?)な生活

アルジェリア人質事件で被害者の氏名が公表された。

これに対してメディアは
「被害者の名前なしに、社会は悲しみを共有していくことができるだろうか。
 事実を語り継いでいけるだろうか。」(日本経済新聞春秋より)
と述べている。

確かに「被害者A」よりも名前があった方が現実味が増す。

しかし最も優先すべきは被害者家族の心情だ。

公表までの経緯はわからないが名前が公表されたとたんこの様な記事が出ると
マスコミがある力をかけて氏名公表を勝ち取った様に感じられても仕方ない。

被害者氏名がわかった方が悲しみは共有しやすい。
しかし程度の問題であって
公表されなくても悲しみや悲惨さは共有できるはずであるし
そのように伝えていくのも報道の使命であると考えてもいい。

マスコミの正当性は当たり前であっても
それを強調し過ぎると反発を招きやすいことを
メディア各社は知ってもらいたい。
アルジェリア イナメマスで起こったテロは日本人10名
そしてほかの国の人も多くの犠牲を伴う結果になった。
こういうニュースを目にするとやりきれない気持ちになる。

しかし7名もの日本人が生還できた事も注目に値すると思う。

テロ実行犯はイスラム教アルジェリア人には危害を加えようとせず、
外国人をターゲットにしているという非情な状況下
現地アルジェリア人スタッフの手引きで
逃げ切った日本人の話もメディアに報道された。

頭にターバンを巻かれ、顔をネックウォーマーで隠して
アルジェリア人に囲まれて脱出に成功したという。

この話はいかに日揮がアルジェリアのスタッフと
普段からコミュニケーションをとり、
相手から信頼されていたかの証だと思う。

生死がかかった状況で国も宗教も超えた絆を築けたかどうかが
日本人生還者7名という数字に表れていると思う。

イスラム教アルジェリア人には危害を加えないと言われても
かくまった外国人が見つかれば処刑されても
仕方ない状況にもかかわらず。

また聞きで申し訳ないが以前にも別の話を聞いたことがある。

中東で日本のある企業がプラント建設をしていた。
当時は原油が高騰していたが
リーマンショックが勃発。原油は急落。

プラント建設会社としては原油は高かろうが安かろうが
プラントを完成させて
建設代金を回収できればいいのだが
この企業は相手方の採算性を考慮し
プラント建設を中断しては、と提案してきて
アラブ人を驚かせたという(その後どうなったかは不明)。

目先の利益だけでなく相手方の利益も常に考える。
相手国とのWin-Winの関係を考えているからこそ
海外に進出してもその国で信頼されるのが
日本企業の強みと言える。

確かに国外に出ていくとリスクは大きくなっていく。
これは覚悟しなければならないことだが
この様な企業を私は応援していきたい。
大韓航空(KE)のマイレージプログラム、スカイパスに加入して13年。

クレカの利用と合わせて13万マイルが貯まった。

それを使って一番行きたいところがブラジル。

いつ行くかはまだ未定だが
今回はその予習を兼ねて代々木公園で開かれた
ブラジルフェスティバルに行ってきた。

タイフェスティバルほどの混雑ではなかったが多くの人が来ていた。

メインステージではブラジリアンバンドの演奏カラオケ
ミス・ブラジリアン・デーの発表で盛り上がっていた。

ただポルトガル語がわからない私に
ちょっと焦りを感じるあせる

ブラジルに行くまでにポルトガル語の勉強が宿題かはてなマーク

ブラジル料理の屋台も盛況でした。

さあこれでブラジルの雰囲気を少しは味わえたかな。
ロンドンオリンピック開催まで1週間ちょっとになった。

個人的にはそれほどオリンピックには
興味を持っていないが
開催地の選定プロセスには関心を持っている。

そんな中本日の日経新聞夕刊1面に
ロンドンの住宅街近くに
地対空ミサイルが配備された記事があった。

以前にもましてテロ対策に
神経を使わなければならない時代。

果たして2020年のオリンピックが
東京で開催されるとなったら
ここまで備えることができるだろうか、と疑問に思う。

もし備えるとして周辺の住民感情はどうだろうか。

良い悪いは別にして日本国民は
戦争に対する強い抵抗感がある。
それが防衛であっても同じように思う。

オリンピック開催はメリットもあるがデメリットも多い。

加えてなかなかわからないであろうこの様な
テロ対策まで考慮すると
スムーズなオリンピック運営は難しいのではないだろうか。

ならば経済も好調、そして初のイスラム圏開催となる
イスタンブールに2020年のオリンピックは
開催してほしいと
新聞記事を読んで改めて思った。
根っからの主夫を自称している私にとって
毎朝の広告チェックは欠かせない。

既に何曜日に何が安いかは大体頭に入っているので
可能な限りそれ(だけ)を買うことにしている。

ところがここ最近スーパーに行くと
気になるものが目に付くようになった。

それはレシピ。

スーパーにとっては提案営業で
より多くの物を買ってもらう為のもの。

一方私の方は如何に食費を抑えるか、
ということが一番の興味であり楽しみであって
栄養のバランスなどは二の次三の次という考え。

調理が嫌いなわけではない。
居酒屋の厨房でバイトをしていたこともある。

それでも家計簿を見て
食費の項目が少なければ少ないほど嬉しい。

そのため特に一人暮らしをしていた時は
自炊していたにもかかわらず
料理のレパートリーは少なかった。

今手元にあるのは某女子大学の学食メニューのレシピ。

「質より量と値段」をモットーにしていた私が
料理に目覚め始めている、ということなのだろうか。