3月 弥生(やよい) March | さようならを言う前に

さようならを言う前に

さよならを言う前に言っておきたいあんなことこんなことをド~ンと言ってみよう!

 

      

        

 

 
日本では、旧暦3月を『弥生(やよい)』と呼び、
現在の新暦3月の別名として用いています。
 
草木がいよいよ生い茂る月「木草弥や生ひ月
(きくさいやおひづき)」が由来とされています。
 
英語の月名 『March』 は、ローマ神話のマルス 
(Mars) の月を意味する「Martius」から取ったものです。

日本では年度替り(会計年度や学年など)の時期と
されているため、卒業式や送別会が行われ、
出会いと別れの時期とされています。



3月の旬の食べ物としては野菜、魚、果物など
たくさんの食材が出回っていますね~~。

そんな中、北海道では何といても
鰊 (ニシン)が、
今まさに旬で、市場にはぎっしり数の子が入った
ニシンが、たくさん並んでいます。



夫は88歳になって初めて生の数の子を焼いて
食べた
と言って、大変感動していました(笑)
 
 
私が子供の頃はそれはそれは沢山獲れた魚で、
ほとんど毎日のように食べていたような気がします。
「身欠きにしん」にして保存食にして食べていた
ことも懐かしく思い出されます。

ところがある時期から何故かニシンが少なくなり、
貴重品になりました。



「春告魚」と呼ばれるニシンは、江戸時代から北海道
に春を呼ぶ風物詩。
 
特に明治から昭和初期にかけて、網元は日本海側で
大量に水揚げされたニシンを北前船で関西に運び、
巨大な富を得ました。


                    ※ニシン御殿
明治・大正期の水揚げ最盛期には、「(網を)ひと起こし
千両万両」と呼ばれるくらいに、現代に換算して、
春先の漁期3カ月だけで約1億円もの利益を生んだ
ニシン漁。

しかし、昭和の初期から漁獲量が減り続け、1950年代
以降はほとんど捕れなくなり、資源が枯渇して
しまったのでは、という見方が「常識」だったのです。
 
ニシンの子の数の子は貴重品となって、お正月に
しか食べられないものになったのです。



ところが、近年、このニシンの水揚げ量が
石狩市や小樽市、余市町、積丹半島など北海道西部
の日本海沿岸で、じわじわと上がっているというのです。

それにしても、なぜ半世紀も途絶えていた
ニシンの群来が「復活」したのでしょうか?

きっかけは2001年です。この年には植物プランクトン
の発生が多く、それに伴い動物プランクトンが
増えました。おそらく餌の環境が良く、生まれた
ニシンの子どもが多く生き残ったのではと言っています。
 
春ニシンの復活はどうやら海洋環境しだいという事
のようです。
 
それでは今月もどうぞよろしくお願いいたします。
 
 

※写真はネットからお借りしています。

 

読んでくれてありがとう~枠はkumakunさんから