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個人的な読後の感想を勝手気ままに書いてます。

しばらく描いていなかった時期の気になった本を、忘備録的ではあるが、少し書いてみようと思う。
その第一弾。




虚ろな十字架
東野圭吾 著
光文社

11年前、8歳の娘を強盗に殺された男がいた。
この事件で、夫婦は犯人を死刑にするべく、戦った。
私は当たり前のことだと思う。
愛する者が殺されたとすれば、
出来る事ならこの手で殺したいと思うはずだ。
司法に代行して晴らしてもらいたいと願うのは、当たり前のことだと思うからだ。

しかし、日本の法ではそうそう死刑の判決はでない。
長山基準と呼ばれる、幾つかの条件があり、それを越えない事件は死刑にはならない。
もっとも、最近ではそういった杓子定規的な裁判にも変化がみられているようではある。

この夫婦もまた、
長山基準と戦った。

愛する娘を殺した犯人に、情状酌量の余地などどこにあるのだろうか?

結局、この夫婦は離婚することになる。

そして、今度は元嫁が刺殺される事件が起きる。
そこから物語は動き出す。

また別の軸で他の家族が登場する。
エリート医師の家族だ。
一見幸せそうな家族にもまた、他人には分からぬ事情が存在していた。

それに、万引き依存症の女。
なぜ、この女が依存症になったのか。
それを考えた時、
生きるとは、選択の連続である。と、改めて思ってしまう。
選択した内容で人生は進むべく方向へと進む。
そしてそれは、選んだ時点で抗うことの出来ない流れになる。
個人の人生の流れは、横を流れる流れと影響しあい、
蛇行して、太くなったり細くなったする。
そして、じょじょにその人となりを示すような
風貌、評判、生活になっていくのだ。

虚ろな十字架、というタイトルに込められているメッセージは、
決して軽いものではない。
登場人物たちが人生の流れの中で、選択したひとつひとつは間違っているとは思えない。
それぞれの信念のもとに動いたまでの結果だろう。
ただ、他の人の流れに巻き込まれ、蛇行した際に決壊したりして、
いつしか十字架を背負ってしまったのだろう。

死刑制度、死生観、愛、、、
重たいテーマの本であった。
男として、武士としてどう生きるか。正しき道とは何か。信念と何か。震えるほどの生き姿がここにはあった。




蜩の記
葉室 鱗 著
祥伝社

豊後羽根藩(架空の土地名)の檀野庄三郎は、
不始末での切腹を逃れる変わりに、
城下町からは離れた農村に幽閉中の、戸田秋谷の見張り役として送られることになる。
今で言う所の完全なる左遷人事である。

秋谷の罪状は側室との密通。
しかも、その密通に気付いた小性を殺害したことにあった。
そのような罪人の監視役を庄三郎は命じられる。
秋谷は、罪を犯した年から10年後の切腹が決まっている身であった。
その10年は、藩の歴史を記す<三浦家譜>を書き上げる事を仕事とし、幽閉されていたのだ。

しかし、庄三郎が秋谷の家に着くと、
果たしてこのお方がそのような罪を犯すような人であるか、
またその家族の在り方、立ち居振る舞いのすべてに
そのような罪を犯す人となりが見えてはこなかった。

疑念の中に訪れた秋谷の家ではあったがやがて、
秋谷の生き様に触れ、感服をし、
庄三郎の人生に影響を与えて行く。

秋谷は曲がったことは絶対にしない。
絵に描いたような真っ直ぐで凛と潔い考え方、生き方をする。
正しく生きたいと思っている人は、
秋谷に接するたびに襟を正し、背も正す人生を送って行けるのではないか。
ただし、どうしても正しい道を歩けない人間もいる。
そういった人間は、その反動でさらに悪しき道へと踏み出すことになるかもしれない。
良き人をさらに良き人に、悪しき人をさらに悪しき人にしていくのが、
どうやら秋谷という人のようだ。

話の中、秋谷の息子の郁太郎と、農家の倅の源吉の友情の話が出てくる。
源吉の強かさ、郁太郎の友を思う気持ちには涙が出た。
男子とはこうあるべきだ! と叫びたくなった。

庄三郎はもちろん、
郁太郎や源吉を始めとする他の登場人物の生き方にも深く感銘をうけてしまう。
そして、自分の背を正す意味でも、
それぞれの生き様をしかと焼き付けようと思ったり。

誰の胸にも大切なものが埋まっている。
その大切なものを慈しむ方法も、またそれぞれ。
生きるとは、死に向かう行進であることは間違いない。
その行進の中、何を思い、何を成すのか。
深く考えさせられる作品だった。

とにもかくにも、あっぱれな終わり方である。
泣かせて頂きました。
フィリピンのパタヤスダンプサイトを舞台に書かれた物語。絶望だけが横たわるゴミの山で拾った1つのカギが、少年たちを未来へと誘う。


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トラッシュ
アンディ・ムリガン 著
高橋 結花 訳
メディアファクトリー(KADOKAWA)

ゴミを拾って生活をする少年ラファエル。
プラスティックや紙を拾ってはお金に換えて日銭で暮らしている。
でも日々見つかるものはというと、新聞紙にくるんだウンコが大半だ。
水道が整備されていない貧困街は、
排泄するものの処理に困って新聞紙にくるんでゴミとして捨てるからだ。
ラファエルは親友のガルドとともに、
ウンコが大半を占めるようなゴミの中に金目のものを探していた。
ある日、ラファエルは1つのカバンを見つける。
その中には、1100ペソとカギ、少女の写真に手紙が入っていた。

その中身たちが、ラファエルとガルドの人生を大きく変えて行くことになる。

さっそく翌日には、警察がきて、
ゴミの街の住人に聞き取り調査が行なわれる。
この国の警察は腐敗しきっている。
子どもであろうと、女性であろうと、
金持ちでない人間は命の尊厳などはない。
用が済めば殺される。

ラファエルたちはその緊張の中、
バッグが握る謎を解く事にする。

ラットと呼ばれる少年の力も借り、
3人で警察を向こうに回しての謎解きを始める。

やがて、それは国の大物政治家の政治生命を、
さらには、この国の行方をも左右しかねない答えがあることを知る。
そして、そのきっかけを作った人物、つまり、カバンの持ち主は命を賭していた。
ラファエルたちは、その人物の心意気に感化され勇気をもらって立ち向かって行く。

さて、私自身はフィリピンを訪れた事はない。
ただ、ベトナムの地で、孤児や親に教育を放棄された子どもたちの施設を作るボランティアには
2度参加した経験がある。
一緒にマングローブの植林に行ったり、スイカ割をしたり。
男の子たちとはサッカーをしたり、女の子とは炊き出しをしたり。
そんなことをしながら、数日を一緒に過ごすのだ。
ラファエルの笑顔は大人たちを虜にするようだが、
実際に、ベトナムで虜になるような笑顔をする少年や少女に何人も出会ってきた。
じっと真っ直ぐにこちらをみて、はにかむように微笑むのだ。
何とかできることをしてあげなくては、と改めて思わされる笑顔だった。

話を戻そう。
ラファエルたちが求めていたのは、哲学的なものでもなければ、
精神的解放などというものでもない、物理的な脱出だ。
ウンコばかりのゴミの山の生活からの脱出だ。
そのために、少年たちは知恵を絞る。そして行動する。
大切なのは、扉をあけることだと気付かされる。
行動しなくては、何も変わらないのだ。と。

この物語は、リトルダンサーの監督、スティーブン・ダルドリーによって映画化されるらしい。
秋に、ブラジルで公開となっているが(舞台もブラジルの設定になっている)、
日本での公開はいつからなんだろうか。