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個人的な読後の感想を勝手気ままに書いてます。

 ピカレスク小説。天性の美しさと聡明さを兼ね備えた主人公、漱太郎。その漱太郎に見せられていく夢生の愛の物語。





ジェントルマン
山田詠美 著
講談社文庫

久しぶりに山田詠美作品を読んだ。
文章の美しさは相変わらずで、読んでいて気持ちの良いこと良いこと。

ただ、中身はすごいなぁ。
悪漢小説? なんて言葉で良いのかなぁ、ピカレスク。

主人公の夢生ことユメは、ゲイだ。
男が好き。

そして、高校の同級生だった、漱太郎を愛していた。
愛していた? う~ん、そんな表現で良かったのかな。

とにかく、漱太郎という男は、文武両道、見た目も美しく、誰にも優しく、ケチのつけようの無い男。
でも、それは表面的なもので、中身はものすごいエゴイスト。
優しい雰囲気で、周囲を寄せ付けて、これって獲物に目をつけたら、とことんエゴイズムを発揮する。

ジェントルマンのタイトルの文字に、斜めにラインが入っているんだけど、
これ、よく考えられたデザインだと思った。

詠美さんの作品を読むと、いつも最後にタイトルの深さに感嘆してしまうのだけど、
今回もまさにそうだった。
ジェントルマンの概念がおかしくなってくる。

登場人物に、ユメをずっと支える女友だちが出てくる。
その圭子の切なさも、深い。

人を好きになるって、やっぱり理屈じゃないんだなぁ。

切ない感情を、ずっと抱えたまま愛する人を見守る気持ち。
それは、愛だな、と思う。
切ない感情を、わざと植え付けて、それを手玉にとって遊ぶ気持ち。
それは、罪だな、と思う。
でも、その手玉に取られていることに心が掴まれるだとしたら、
それも、アリなのかな、とも思う。

とにかく、
男でも女でもなく、ゲイを中心に据えたこの作品って、
ずるいんだなぁ(笑)


 生きるって大変! でも、だから「生」って素晴らしいのかも。って思わせてくれる作品。



晴天の迷いクジラ
窪 水澄 著
新潮文庫
 
 デザイン会社の社長、48才の野乃花、デザイナーの由人24才、そして16才女子高生の正子。
 この三人を軸に物語は展開していく。
 
 由人のエピソードから物語は始まるのだが、いるいるこういったデザイナー男子、と妙に納得してしまうリアリティには笑ってしまった。そして、付合っている積極的で肉食系の女子も想像に難くない言動をする。感受性が豊か過ぎて社会とうまくマッチできない感じも。そして、由人はこの子にフラレてしまうのだが、その原因も振られ方も若さ故の残酷さを秘めていて、こういう失恋を通して人は強くなっていくのだ、と思うのだが、やはり本人にしてみれば深刻な問題なんだろうなぁ。
 加えて、激務も含めて由人は心療内科のドアをノックすることになる。

 そのデザイン会社の社長が、野乃花だ。
 野乃花の18才のエピソードが描かれるのだが、この1年と少しかな、の時期が野乃花の人生のターニングポイントになる。
 漁村に生まれ、潮と魚の匂いの中で育った野乃花には、絵の才能があった。
 その才能が、出会いを作り、野乃花を違った人生へといざなっていくのだが、マイノリティであるがゆえの社会に対する不感症という処し方をしてしまい、大人たちに翻弄されてしまう。
 マイノリティがメジャーの中に入った時の疎外感。よく分かるなぁ。
 ただ、野乃花はあまりにも若かったんだな。
 逃げることで新しい自分の人生を歩き始める。
 それから30年。
 まったく違う自分の生き方を東京で探し、違う自分を作ってデザイン会社を起こすのだ。

 そして、正子。母親にすべてを監視され、誰とも接触することも許されず育てられる。
 ある日、父親が何気なく言った言葉が、幼い正子の頭にインプットされる。
 「よくお母さんの言う事を聞いて、お母さんを大事にしような」
 この言葉が、正子の16年の人生をぐるぐる巻きに縛り付けて行く。
 高校生にもなって門限が5時。
 それでもお母さんの悲しい顔が見たくないと思い、学校の近くの駄菓子屋にも寄らず、親しい友だちも作らずに真っ直ぐ帰宅する日々を送っていた。
 ある日、正子に声を掛けてきた男子。その子がくれた水色のソーダのアイス(どう考えてもガリガリ君だね)。母親に体に悪いから、と食べる事を禁じられていた市販のアイス。
 このアイスがきっかけで、正子のぐるぐる巻きにされていた人生に、小さなほころびが生まれる。
 良いほころびだと、思う。
 少しずつ、正子に笑顔が生まれていく。笑うってこういうことだったんだ、と気付くことすら嬉しい発見なのだと。
 しかしまぁ、やっぱりここでも母親は出てくるんだな。仕方ないけど。。。

 やがて、野乃花の会社は倒産に向かってヒマまっしぐら。由人は彼女に振られてやけっぱち。正子は大事なものの存在に気付いて、自分に目覚めるのだが、母親との狭間で悩み、やり場のない思いで潰されて行く。

 そんな3人が、やがてクジラが迷いこんだという半島で出会う。
 
 それぞれの胸に、生きることへの諦めや生きるための目的や、大切な人との想いがある。
 クジラと、その湾で生きるひとたちとの何気ない日常の中で、3人は改めて自分と、そして、いまなぜか一緒にいることになったふたりのことを想う。

 生きる中でぶつかった絶望ってどれくらい息苦しいんだろう。

 絶望の果てに見える希望ってどんな景色なんだろう。
 
 そんな空気観や景色を見せてくれる作品ではなかろうか。
忘備録第2弾です。
もともとは、作者の方が仲間内の先輩の大学同期の方ということでオススメ頂いた本です。





漂砂のうたう
木内 昇 著
集英社文庫
第144回直木賞受賞作品

根津遊郭が話の舞台である。

主人公たちはご一新という、武士にとってみたらとんでもない一大事のおかげで、
武士でいられなくなり、まさに漂砂のごとく社会を流れ流れて生きている。
主人公の定九郎もまた、武士の身分を失い、
根津遊郭で客引きをしている。

小学校の時に習った、士農工商の社会的序列。
この一番上に位置していた武士階級が、
刀も取りあげられたあげく、食い扶持のために客引きをするなんてのは、
なんとも悲しい出来事。
同じ男として、同情してしまう。

さて、この物語のホントの主人公なのでは、と思ってしまうのが、
小野菊という花魁だ。
この花魁がなんとも粋な事。
また、それを表す文章もこれまた粋なんだな。

ちょっと長くなるが抜粋。

まがきの襖が音もなく開いたのは、その時だった。
薄暗かった張見世が急に明るくなる。月を一つ、格子の中に落としたような、煌々として澄んだ光が満ちた。現れた小野菊に、群がった客も、またやくざ者も、気を呑まれて言葉を仕舞う。いつもは跡尻近くに座る小野菊だが、布かれた緋毛氈の上を格子の側まで進んで、悠然と腰を下ろした。朱羅宇の長煙管に火を入れて一服してから、やくざ者に向かってふわっと笑んだ。
「お兄さん、困るじゃないか。そんなに大きな声を出して。みなさん、ゆっくり敵娼をお選びんとこ、ご迷惑ですよ」

小野菊の風貌や物腰が見事に出ている文章だと思うのです。
こういう文章、大好物です。

漂砂のごとく、時代の流れに身を任せるしかない男たちと、
事情があって遊郭から逃れようの無い女たちの人間模様。
変わりゆく時代に求めたのは、自由だったのかなぁ。
それはいつの世も変わらないだな、きっと。

まぁ、とにかく粋な文章を楽しませてもらいました。
この文章に慣れることができるかが、この本を楽しむためのポイントかな。