徹底したリアリストなんだけど、
毎朝、
手を合わせてひざまづくことにしてんのよ。
何度か死の淵を垣間見て、
なんか、命が自分のもんじゃないような気がするからさ。
不思議なことに、
その観点が高まるときは、
何をすべきなのか…
どう感じるべきなのか…
が克明に見えて一切の迷いがなくなるのよねぇ。
そういう時は、
結果の良し悪しに関わらず、
全てを受け入れる気持ちになって、
何も怖くなくなる。
たださあ、
人間ってそんなに強くないじゃん?
「俺」の生き方は?
「俺」のスタイルは?
「俺」の取り分は?
ってな具合に視点がブレると、
瞬く間に現実も曇っていくのよね。
それはそれは、
面白ほどに連動的にさっ。
ただ、
その「曇り」は、
次の確立には絶対的に必要な要素だということは、
経験上教わってきたので、
年々狼狽しなくなってきたよ。
むしろ、
穏やかに流れていると、
「混乱」させるようになってきている。
おそらく、
「安定」の必要条件は、
「不安定」や「混乱」だろうと信じている。
だってさ、
物理的に消滅しない命はないのよ。
まあ普段、
そういったことを考えざるを得ないような、
「転機」を迎えた方と接する機会が多いんだけど、
毎度、
「目標設定」は「死」に等しい、と伝えている。
(いや、だから、僕は生粋のリアリストだって)
それは、
あたかも「永遠に続くのではないのか」と錯覚してしまいがちな、
僕らの日常の視点を、
正常な位置に戻してくれる、
一つの「区切り」だからだ。
区切ることによって、
現在地が正確に把握でき、
進むべき一歩が見えてくる。
そういった意味で、
「目標設定」は、
「目的」ではなく「手段」といってもいいのかもね。
だから、
「感情」など伴わなくてもいい。
(それ、本物の感情じゃないし、伴うの待ってたら、
あっという間にジジイ、ババアだよ。)
目標を抱き続けることの「痛み」は、
ひたすらに正しい「痛み」だ。
いち早く、
当たり前の「痛み」に慣れて、
人生を大いに味わっていただきたい。
そのサポートが少しでもできるよう、
今年もより一層頑張りまっす。
気付き、動きさえすれば、
誰でもどっからでもできることだからね。
行動、
起こしたモン勝ちだぜっ
(突飛じゃないヤツね。)