すでに勝負は決まっている」
確かに、
「解釈」と「準備」で勝負が決まるような体験は
数々してきたよ。
学生時代、
オーストラリアに遠征した際、
重量級・中量級・軽量級の順に、各階級のオーストラリアチャンピオンと、
立て続けに闘って、
最後には軽量級のチャンピオンをノックアウトしたことがあるのね。
でも、
当時の僕の実力からいって、
どう考えてもできないことをやってのけたんだよね。
最後は、
どうやって倒したかもよく覚えていないし。(確か、前蹴りで腹を効かせたのかな)
一つだけ考えられる理由は、
「使命感」だけだと思うよ。
だって、
頭にあったのは「三和純師範」と「岡本徹先輩」の名前だけだったし。
(当時僕はかなりの個人主義で自分のためだけに生きる、みたいな人間だったのに)
つまり、日本から来ている僕が、
お二人の名前を傷つけることは絶対にあってはならない!
という気持ちだけだった、ということだね。
もうそれは、
僕の実力なんかじゃない、
それを突破して超越するだけの前提があった、ということさ。
そうした、
逃れることの出来ない使命感や責任を負ってしまうのも、
「準備」に含まれると僕は思うよ。
昨日、
久しぶりに道場に行かせていただいて、
ちょっとそんなことを考えたのさ。
写真は、
年始にみんなで撮った写真。