粗雑なエネルギーは、その摩擦により研磨され洗練されてゆく気がする。
ただ摩擦にも、いろいろ種類があると思うんだ。
もし、そのエネルギーが、目先の己を救うものであった場合には、
自己主張に殺気が乗らず、説得力を失っちゃうんだよね。
こうした摩擦は、自分自身や周りを疲弊させるだけで、何にも生まないのさ。
でもね、物事を大局で捉えたエネルギーには、
自らの技量に確信を加え、なんともいえない凄みが出てくる。
ここで起こる摩擦は、
眠っている感性を覚醒させ、周囲もろとも本能を活性化させてしまうのだ。
が、それも所詮は荒削りなもの。
叩かれ、潰され、それでも限界を探ってはじめて「まあまあイケる」ものができあがるんじゃないのかな。
はじめから無難なところを狙ったものなど、
人を安心させるだけで(害がないから)、すぐに飽きられるだけだもんね。
そういった意味で、
究極の「価値」とは、ギリギリの摩擦や衝突の結果、生み出されるものだと、
僕は考えるんだ。
写真は、Nさんにいただいた絵本。
とても嬉しい。 ありがとう。