森永卓郎さんの「書いてはいけない」という本が売れている。その中に日航機墜落事故の記載があるが、この事故に関しては青山透子さんの一連のシリーズが有名である。


以下wikipediaより

青山 透子さんは、日本航空123便墜落事故についての書籍を出版する作家。「青山透子」は事故当時群馬県多野郡上野村村長の黒澤丈夫が付けたペンネームである。

元日本航空 客室乗務員を名乗り、日本航空123便墜落事故について事故調査委員会の調査結果に疑問を抱き、自ら調査して出版したとしている。

引用ここまで


その他にも多くの出版がされているが、かなり前に「日航機墜落事故 真実と真相」(小田周二著 文芸社刊)を読んだ。

そこには大体、以下のことが書かれていた。

・日航機123便の垂直尾翼に自衛隊の無人標的機が衝突した。

・御巣鷹山付近で自衛隊機は事故機をミサイルで撃墜しており、無人標的機の残骸のほか、ミサイルの破片、火薬などの証拠残骸の回収と隠滅が行われた。

・自衛隊が日航機事故に関与したという事態を察知、認識して知っている全員の目撃証言をなくすため、「乗客乗員全員死亡」で終わらせる作戦計画の立案、実行。救助活動を遅らせて、生存者救出活動の妨害をした。

・自衛隊関与の事態を隠蔽するために目撃証言を無視して非科学的、非論理的な調査思考を進め、嘘の事故原因を捏造した。


自衛隊は「乗客乗員全員死亡」を図るべくミサイルで撃墜したにも関わらず数十名が生存していて、続いて自衛隊特殊部隊を極秘裏に派遣して更なる「乗客乗員全員死亡」を図ったが、最終的に4名が奇跡的に生き延び、救助された。

落合さんら4名が奇跡的に救助されたのは、高濱機長らの勇敢で優秀な操縦技術により地面への激突を回避し水平飛行に回復させた英雄的行為によるものである。事故機を手動操縦して横田基地への着陸が出来るように飛行機能を回復し、乗客に生存への希望を与えたことは絶賛に値する英雄的行為であった。


当時、墜落場所が御巣鷹山のスゲノ沢であることは上野村消防団には分かっていたが「待機命令」がかかっており、これに反して救助に駆けつけようとした自衛隊員数名が射殺されたとのNHKの報道があった。待機がかかった間に自衛隊の特殊部隊は証拠物回収と火炎放射器で生存者を焼き殺して回ったという。

その証拠が写真に記録されている。ちなみに、飛行機の燃料はこのように人が炭化するほどには燃焼しないという。状況証拠は火炎放射器が使用されたことを裏付けるに足るらしい。



↑注目すべきは炭化した人の側にある木は焼けているどころかそのままの状態である。

中曽根元首相はこの事故について「墓場まで持って行く」と語られたそうであるが、果たして真相解明される日は来るのであろうか。