本書は現在、絶版となっているため、やむを得ず定価の2倍の価格で手に入れたものである。それでも、買って良かったと心底そう思う。

肉食は体に悪いのみならず、家畜という行為は完全な動物虐待行為と断言出来る。そして家畜たちがいかに悲惨な環境に置かれているのか、いかに悲惨な運命を強いられているのか、また肉食がいかに体に悪いかについて本書を読むことにより、より理解を深めることが出来る。さらに、詳細な記述を読めば自然と肉食を避けるようになるであろう。

家畜たちは狭い所に押し入られ、運動も制限され肥らせるためひたすら餌を食べ続けさせられる。その餌も遺伝子組換の作物だ。さらにホルモン注射や抗生物質、化学物質などの大量の薬品が投与される。
雄牛の睾丸を除去するのは脂肪の量が増えるからで牛肉業界が肉の等級を脂肪の含有量で決めるからだ。当然、睾丸を除去するとき牛には激痛が走り悶え苦しむ。そして劣悪な環境に苦しみながら生き、挙げ句の果てには屠殺され、薬漬けの肉が市場に出回る。その肉には発癌性物質も含まれているという。
「新鮮な肉」ではなく「死んだばかりの牛の肉」と呼べばいい、と著者は語る。子羊や子牛の内臓を「スイートブレッド(甘パン)」と呼び、豚の睾丸を「ロッキー山脈の牡蠣」などと呼んで、動物の死体を貪り食っているという不愉快な事実から消費者の目をそらしている。そうしなければ今日の食肉産業は成り立たないからだ、と著者は続ける。

私たちのほとんどは動物の肉は食べたいが、血の流れる光景は見たくない。「そこの活きのいい子牛をお願いします」などと魚の活け作りみたいなシステムは肉食には馴染まない。あの愛らしい目をした子牛を目の前で無惨にも殺され、解体された血だらけの肉片を見せつけられ「たった今、殺した新鮮な肉です。ささ、どうぞ召し上がれ」と言われても、普通の感覚では「美味しそう」などとは到底思わないだろう。
そもそも、肉自体は香辛料やソース、旨味調味料の味付けがなければ食べられたものではない。
なのに今日では、ご馳走というと大抵ステーキや焼き肉、すき焼きなどの肉料理となることが定着してしまっている。もはや家庭で肉のない献立など考えられない。
だが、肉料理後の皿に、白く固まった脂を見た事があるだろう。人間は動物より体温が低いため、体内に入った動物の肉汁はあのように凝固するのである。当然血液はドロドロになる。かてて加えて、ただでさえ消化が悪い肉が消化不良のまま腸に達すると、やがて腸内で腐敗を始める。腸は腐敗した毒素を栄養分と共に体内に取り入れてしまう。それが血液を通じて全身を駆け巡る。そこには牛に投与された化学物質や料理する際に味付けのための添加物も混じっているのだ。これでは病気にならない方が不思議ではないか。
今では磁石が付く肉があるようで、家畜は一体何の成分を含んだ注射をされているのか、なおのこと食べるモノではないのだ。

肉は体に良い、肉を食べなければ力が出ない、肉食こそが健康の秘訣である、と食肉産業関係者は喧伝する。そこには巨大な利権が絡み、ビジネスとして多くの人の生活がかかっているからこそ、盛んにそのように力説するのである。
しかし、少し考えてみれば日本の歴史の中でも肉食はつい最近の習慣であり、古来の日本人は穀物や山菜、海産物を中心とした食生活を行ってきたのである。それを捨て欧米食に切り替えたがために、高血圧や肥満、果ては心臓病、癌や脳卒中などの死因上位の病気が蔓延したのである。
余談ではあるが、肉食動物が獲物を捕らえて一番最初に食べる箇所は内臓である。その内臓には草食動物の食べた草があるからこそで、肉食動物は間接的に草食をしているのだ。

という訳で、たとえ本書がどんなに食に関する真実を述べ警鐘を鳴らしていたとしても、食品業界をスポンサーとするマスコミに取り上げられる筈もなく、このまま多くの人々の目にとまることなく絶版となってしまうのは誠に残念でならない。現代は都合の悪い真実は巨大な力によって隠蔽されてしまう時代なのである。よって、本書のような良書は多少、値が張っても手に入れておいた方が賢明だと思った次第である。