
余りにも有名なイエス・キリストの磔刑のシーン。
そもそも磔刑とは、どのような刑なのでしょうか。腕を広げて吊るされた状態では体が自然に下がり横隔膜が十分に動かせなくなり、息を吐くのはまだできても、息を吸うのが極端に難しくなるため、徐々に二酸化炭素が溜まり、酸欠状態になります。苦しんで体を押し上げて息を吸おうとする → 力尽きてまた下がる → を繰り返し、最終的に呼吸ができなくなって窒息死する。 場合によっては数時間〜数日(長い場合は2〜3日以上)かかる。つまり「体を支えられなくなり、呼吸ができなくなって窒息する」
これが磔刑による殺し方で、非常に残酷で苦しみを最大化するための刑でした。
ところで、イエスは気性の荒い方でしたので当時席巻していたパリサイ派の人々を相手に次々と論争しては言い負かして、彼らは論破され続けたため「こいつはもう生かしておけない」として、最終的に磔刑にするに至ったのでした。
そして、パリサイ派の人々は「いいか、俺たちに逆らったらこうなるんだぞ」と、言わば見せしめのために、このシーンを絵に書かせたり彫刻にしたりして人々に示したと考えます。
ところが、あろうことかローマの人々は、この残虐なシーンを崇め奉ってしまったのです。パリサイ派としては痛快というか、民衆というのはこんなに愚かなものかと思ったに相違ありません。
イエスが昇天され、ペトロを始めとする使徒たちが世界中に布教に回りました。
しかし現在、キリストの教えは形骸化され、かのバチカンは既に悪魔に乗っ取られたのではないでしょうか。

