元世界チャンプ川嶋勝重さん リングを離れて自由が丘で「リング職人」に

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日刊ゲンダイDIGITAL
元世界チャンプ川嶋勝重さん リングを離れて自由が丘で「リング職人」に

川嶋勝重さん(C)日刊ゲンダイ

【あの人は今こうしている】

 川嶋勝重さん(45歳・元WBC世界スーパーフライ級王者)

 無骨な風貌とひるむことのない果敢なファイトぶりから“ラスト・サムライ”と呼ばれた。ボクシング元世界チャンピオンの川嶋勝重さん(45)だ。世界スーパーフライ級で初戴冠となった2004年6月の対徳山昌守戦では、同級で今も破られていない1分47秒の最短記録でTKO勝利。一躍、人気ボクサーに上り詰めた。引退は08年。今、どうしているのか?

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「アクセサリー職人になったのが2009年ですから、職人歴は11年。お店はジュエリーデザイナーの嫁が01年にオープンしており、最初の半年は見習いで基礎と応用技術を教えてもらい、あとは自分で工夫しながら身につけたんです」

 都内屈指の高級住宅街・自由が丘。川嶋さんと会ったのは、東急大井町線緑が丘駅から徒歩3分ほどのジュエリーショップ「Ring(リング)」だ。店名はもちろんボクシングリングから。6歳年上の姉さん女房・環さんと二人三脚で切り盛りしている。

「仕事の面白さはなんといっても、お客さまから直接評価されること。クオリティーの高い仕事をすれば、その後の売り上げをストレートに左右しますからね。神奈川県藤沢市にお住まいのお客さまに結婚指輪をお作りしたら、それをご覧になった友人20人以上から指輪を受注したこともあるんです」

 約7坪の店内には300点を超える作品がズラリ。壁に現役時代のポスターや色紙、愛用したボクシンググローブがかかっているのは、元チャンプの店ならではだ。

「オーダーメードの品物は、お客さまのリクエストに合わせて嫁がデザイン画を起こして僕が製作しています。今でこそ2週間ほどで納品ですが、当初、2次元のデザイン画から3次元の形にする作業にはてこずりました」

 コンスタントに売れているのが、グローブをモチーフにした「KING」シリーズ。大橋ボクシングジムの後輩で、先日引退した元世界チャンプ・八重樫東選手はネックレスを愛用している。

井上尚弥選手のお父さんからも受注しました。選手の祖父から譲られた純金指輪のリメークで地金でグローブ形の指輪を作って欲しいと。たくさんの方々に応援してもらえて、本当にありがたいですね」 


一度は就職も家出同然でボクシングの世界に

元世界チャンプ川嶋勝重さん リングを離れて自由が丘で「リング職人」に

徳山昌守から王座を奪取した川嶋さん(右=2004年)/(提供写真)

 74年10月6日、千葉県市原市生まれ。ボクシングを始めたのは21歳、プロデビューは22歳で世界王座に就いたのは29歳。遅咲きである。「高校時代の部活は野球部でしたし、卒業後はいったん半導体関係の会社に就職してるんです。きっかけ? 小・中と同級生だった友人が先にボクシングをはじめ、デビュー戦を観戦したことですね。試合にこそ負けたんですが、とにかくカッコ良かった。両親や会社の上司にも猛反対され、バッグひとつ持って家出同然で横浜に引っ越しました」 それが95年。だが所属した大橋ボクシングジムではあまり評価されず、なかなかプロテストを受けさせてもらえなかった。「今、4回戦時代の動画を見ると、笑っちゃうくらい下手なんです。プロテストまで時間がかかったのはしょうがないですね」 だが、元2冠世界王者・大橋秀行会長が「努力の天才」「気迫なら右に出るものはいない」と感嘆するほど練習に熱心に取り組み、02年4月に日本スーパーフライ級王者に。そして03年6月、WBC世界スーパーフライ級王者の徳山昌守に挑み12回判定負けしたものの、翌04年6月28日、再挑戦。1ラウンド1分47秒、TKOで勝利を収め、王座を奪取した。「まさかチャンプになれるとは本当に思ってなかったので、勝った瞬間、夢じゃないかと。アハハハハ」 その後は2度防衛し、05年7月、3度目の徳山戦に判定負け。以降2回、世界戦に挑戦したが、いずれも返り咲きにいたらず、08年1月に引退した。「ベストバウトは2回目の防衛戦、米国の技巧派、ホセ・ナバーロとの試合です。僕は顔面を3カ所カットしてしまい、特に左まぶたの出血が酷かった。ドクターストップになる前に決着をつけようと打ち合いを挑んだら、ナバーロは応じてくれたんですよ。なんとか判定勝ちを収められましたが、彼が打ち合いを避けて逃げ切ってたら負けてたかもしれない。挑戦者らしい心意気がうれしかったですね」 ショップは来年3月、20周年を迎える。(取材・文=高鍬真之)