スポーツ報知が母の日に掲載して頂きました

事故で亡くなったボクサー富久信介さんへ“20年後のラブレター”「痴漢から守ってくれた」同じ電車で恋心を抱いた女性から



スポーツ報知

 新型コロナウイルス関連ニュースが大きな関心となる中、元プロボクシングWBC、WBA世界ミニマム級王者で、指導者として井上尚弥ら世界王者を送り出してきた大橋ジムの大橋秀行会長(55)がこのほど、自身のSNSで、見知らぬ女性からメッセージを受けたことを明かした。それは2000年3月の日比谷線脱線事故で命を落としたジムの教え子・富久信介さん(享年17)に、思いを寄せていた女性からのものだった。「20年後のラブレター」は切なく胸を打った。(構成・谷口 隆俊)



 大橋会長に見知らぬ女性から突然、SNSメッセージが届いた。4月下旬の早朝。コロナ禍で延期されたWBA、IBF世界バンタム級統一王者・井上尚弥の世界戦に関し、ネットで情報収集していた大橋会長は、Aさん(仮名)の言葉に胸を熱くした。

 「ほぼ毎朝、彼と同じ車両にいた、当時の女子高生です。いつもカッコいいなと思ってました」。当時、東京・麻布高2年の富久さんは横浜市の自宅から学校まで東横線と地下鉄日比谷線を利用していた。Aさんはいつも同じドアから乗り込む彼が気になっていたという。

 全国屈指の進学校に通う富久さん。中・高とサッカー、ボクシング、ラグビーに熱中した。高校にはボクシング部がなかったため、自身で創部に尽力するほどの行動派だった。夢の一つが「プロボクサー」だったこともあり、学校帰りには大橋ジムで鍛錬した。「文武両道という感じ。『会長、将来は事業を興してジムのスポンサーになります』なんて言ったことも。ボクシングでもプロになれたと思う」と大橋会長は振り返る。

 正義感あふれる富久さんは、電車内で何度か痴漢に遭うAさんを助けたという。「彼が守ってくれました。とても優しい。話したこともないけど、優しさを向けてくれた」

 だが、突然悲劇が襲った。2000年3月8日。富久さんは期末試験最終日で、2時限目からの登校。いつもより時間を遅らせて日比谷線に乗り、脱線事故に巻き込まれた。短い生涯の幕を閉じた。報道に衝撃を受けたAさんは「間違いであってほしい」と連日、車内で彼を探し続けたという。だが「どうしても会えなくて、現実を受け入れるまで、たくさん泣きました」。

 多くの人から愛されたという富久さん。大橋会長は彼の生きた証しとして「富久信介杯」を創設した。2004年6月には、先輩・川嶋勝重がWBC世界スーパーフライ級王座を獲得したが、この時、「リングに上がりたいだろうから」と、トランクスに富久さんのイニシャル「S・T」を入れていた。

 大橋会長はAさんからのメッセージをすぐに富久さんの父・邦彦さん、母・節子さんに転送した。メッセージを読み、うれしくて朝から涙が止まらなかったという両親は、Aさんへのお礼の言葉を大橋会長に託した。

 「お優しい心遣いに何度も読み返し、うれしくて少し悲しくて読むたびに涙が止まりません」「武骨でシャイでプライドが人一倍高く、口数の少ない奴でしたので彼女はいないんだろう、できないだろうと思ってました」「貴女(あなた)のお便りを拝読して、彼奴(あいつ)にも「守ってやる」女性がいたんだと」「今となっては彼奴の胸の内は知るよしもありませんが、淡い恋心が芽生えていたとしても何ら不思議ではありません。そうあって欲しいと切に願います。少しでも恋する心、愛する心を知って旅立ったと思いたいのです」

 富久さんは友人がいじめられると、たとえ上級生でも殴り合いのけんかで守ったという。「自分の愛するものは全力で守るというのは彼奴の自然な行い」で、Aさんを痴漢から守ったことも「それは間違いなく、本人が意識してなくても、彼奴の愛情の発露」「お互い名前も知らなくても毎朝電車に乗り合わせる女の子、彼奴は時間も車両も合わせていたのでしょう。間違いなく彼奴の「初恋」です」「彼奴の短い生涯に最後に花を添えていただいて、ずっと涙が止まりません」と思いをしたためた。

 返事を受けたAさんも涙が止まらず、しばらく立っていられないほど感激した。座席で楽しそうに参考書を広げる富久さんを「大好きでした。言うまでもなく、ものすごくカッコよかった」と告白する。Aさんは5歳の息子にも、以前から富久さんのことを話しており、「本物のヒーローは日常にいる」「真の意味でかっこいい男になりなさい」と伝えた。彼女にとってヒーローは間違いなく富久さんだ。

 Aさんは今でも東横線・日比谷線に乗る時は心の中で「ありがとう」と言い続けている。「探しても探しても、電車に乗る時間を少しずらしたり車両を変えたりしてみても、やっぱり会えなかった富久くん。朝の電車で何度泣いたことか」。息子がおもちゃの電車で遊びながら「脱線したー」と言った時には、本気で叱ったという。「やっと、やっと、彼の素敵な姿を伝えられて、ご両親に聞いていただけたこと、うれしくて、ほんとにうれしくて」。これからも感謝とともに、富久さんという存在があったことを伝えていくそうだ。

 「コロナで悲しいニュースばかりの中、とても感動したお話なので公表させていただきます」と大橋会長は「20年後のラブレター」を“配達”する大役を終えて安どしたように笑った。節子さんにとっては、少し早くて、とてもうれしい母の日の贈り物となったはずだ。

 ◆日比谷線脱線衝突事故 2000年3月8日午前9時1分、東京・目黒区の中目黒駅付近で、走行中の地下鉄日比谷線上り電車の5、6両目が急カーブから直線に移るところで脱輪。下り電車と衝突して車両が大破し、頭などを強く打った乗客5人が死亡、63人が重軽傷を負った。富久さんは、期末試験の時間に合わせて遅らせて登校し、事故に遭った。

報知新聞社