その裏のロジック | 日本の、世界の、食の常識を超えていく。

その裏のロジック

先日、名刺を恐ろしく下に、こちらが相当に腰を折り曲げなければならないほど下の位置に差し出す、若いセールスパーソンと名刺交換をした。おそらく彼は、働くその企業での新入社員研修で、名刺は相手より下に差し出すべきである、と指導され、それを深く考えもせずに、ある種盲目的にそれを実践しているのであろう。

営業先での名刺交換で、自らの名刺を相手より下に差し出すということ。それはアポイントを受け入れてくれた先方への感謝の念と、それに伴う恐縮の意であるはずだ。それを伝える一つの手段として、相手より下へ名刺を差し出すのであろう。しかし、それがあまりに下過ぎては、自らのルールを相手に「押しつける」形となり、むしろ相手に不快感を抱かせてしまう。大切なのは「感謝と恐縮の意」を伝えることであり、「下に名刺を差し出す」ということではないのだ。

おそらく、真に優秀な人間と、学歴だけが良い人間との分かれ目は、ここにあるのであろう。決まりきったルールをルールとして順守するだけではだめだ。さらにはビジネスにおいてもそのルール、ベストプラクティスをそのままに受け入れるだけではだめだ。ルールがルールとして必要とされた、その文脈こそを読み解くべきなのだ。ベストプラクティスとなった、その裏に隠されたマーケットの真なる需要こそを読み解くべきなのだ。

例えばスターバックス。彼らが96年に日本に進出してから、多くの高価格帯のコーヒーチェーンが誕生した。しかし、それらはスターバックスほどうまくはいかなかった。おそらく模倣したチェーンは、スターバックスの成功を「高価格帯コーヒーチェーンの成功」として理解したに違いない。しかし、私はそうは思わない。スターバックスの顧客が買っているのは「高級なコーヒー」ではない。「場所」だ。しっかりと食事をするわけではないので食事メインのお店では追い出されてしまう、しかしファミレスで時間を過ごすのはさみしい。さみしさを感じずに時間をつぶしたい。その需要に応えたのだ。その意味では、実はスターバックスは、高価格帯コーヒーチェーンと競合しているのではなく、むしろ快適性を打ち出している「まんが喫茶」などと競合している、と言えるのかもしれない。

この情報社会において、表面上だけの理解だけではだめなのだ。常識的なことをそのままやっているだけではだめなのだ。その裏にある、隠されたロジックを見出すべきなのだ。ビジネスの現場ではさらにそこから仮説を導き出し、実際に試して、そのフィードバック情報から実行策をアジャストしていくが、この裏のロジックを探し出すということ、ここにこそ、生身の人間がバリューを出せるポイントがあると思う。

しかし残念ながら、このようなことを今までの日本人は少々苦手にしてきたのかもしれない。儒教を文化の背景に抱え、先生の言うこと、親の言うことを疑う事を禁忌とし、ルールを押し付け、その論理を説明せず、論理を問われればどやしつける。そんな「伝統」が日本の教育に、文化に、そして和食調理の世界に、色の濃淡はあれ今でも残っていると感じる時がある。しかし、まさにコペルニクス的転回が求められはするが、その分伸び白も大きく残されているとも言える。少子高齢社会の日本が力強く成長するために、さらにはグローバル経済の中で勝ち抜いて行くために、こんな素養を身につけておきたい。