アジア視察 ~ベトナム編~ | 日本の、世界の、食の常識を超えていく。

アジア視察 ~ベトナム編~

ベトナムではマーケット視察の合間に戦争博物館へ足を運んだ。そこで私は、ベトナム戦争の恐ろしい展示物の数々に、目を覆いたくなった。ベトナム兵を処刑したギロチン(しかもその切り落とした首で米兵はサッカーを楽しんだらしい)。拷問で歯を全て折られた方の写真、空襲で一家全員が亡くなっている写真。枯れ葉剤の影響で奇形で生まれてきた方々の写真(親子3代まで影響をおよぼし、現在でも多くのベトナムの方を苦しめている)。それらすべて、人間の狂気とはここまでのものかと思い知らされた。ベトナムの施設であるため、自国の苦しみに焦点をあてていたが、アメリカ兵も同じような苦しみを受けたことだろう。戦争を通じての、双方の、憎しみ、怒り、恐怖、といった感情が人をここまでの狂気へと駆り立てるのだろうか。

私はNo more war. Love and peace.とは単純には言う気になれない。兵器を持つ隣国が、何かの拍子にそれらを使用するという可能性を否定できないし、また、その兵器をちらつかせ、こちらがのめない要望を押しつけてくるという可能性もあるからだ。しかし、人をここまでの狂気に駆り立てる戦争というものは、絶対に避けなくてはならない、徹底して避ける努力をするべきだ、ということを改めて痛感した。

このような戦争をくぐり抜けてきたベトナム。しかし、人々はたくましく生きていた。所狭しと走り回る、おびただしい数のバイク。ドリアンや香辛料のむせ返るような匂いの中、多くの買い物客で賑わう市場。出生率の低さで苦しむ日本とは比べものにならないほどの多くの若者(むしろ出生率の高さが問題になっているという)。日本でも20年~30年前までは感じることのできた「明るい未来」がそこには満ちていた。60階建てのオフィスタワーの建設が進むなど、経済的にもめざましい発展を遂げている。もちろん町の中心地を離れるとまだまだ貧困層も多く、我々が進出するには時期尚早の感を拭えなかったが、人口8000万人のマーケット、中期、長期的には極めて有望であることは間違いないだろう。

最後に、今回特に印象に残ったのは、ベトナムの人々の、真面目さ、勤勉さ、礼儀正しさ、だ。おそらく仏教の影響であろう、どのベトナム人に会っても、日本人が忘れかけているそれらの素養を感じた。農村部に広がる手入れの行き届いた田畑に、私は日本の原風景を見た気がした。彼らの笑顔をたたえた挨拶に、駆け引き抜きの純朴な人間性を感じた。

私は、ベトナムという国が好きになった。

フランスからの占領、そして戦争という苦難を経てもたくましく生きる多くの人々、私はベトナムの益々の発展を願って止まない。