「お前、ただのサッカー馬鹿だろ!」 | 和久井秀俊オフィシャルブログ「海外サッカー選手のホンネ」Powered by Ameba

「お前、ただのサッカー馬鹿だろ!」

 

 

遺伝と無意識

 

 

サッカー馬鹿」という言葉がありますが、これはサッカーやっている人は良く聞く言葉ではないでしょうか?僕は、サッカー馬鹿と幼い頃から言われ続けてきて、僕自身でもずっとサッカー馬鹿だと思い込んでいました。

でも「サッカー馬鹿」と言われる事が、時に悔しいと感じる事がありました。それは、「サッカーが馬鹿みたいに好きな人」という以上に、「サッカーしか出来ない馬鹿な人」という意味合いとして強く受け取っていました。

 

 

実際、僕はそんな意味を込めて言われた事もあったと思いますが。笑

 

 

でもここまでサッカーをしてきて、プロ選手にも二通りの選手がいるという事が判りました。「思考する選手と思考しない選手」、言い換えると「意識的にプレーする選手と無意識的にプレーする選手」が、いるという事です。

 

 

僕のような選手は、結果から分析して、日々トレーニングの中で自身のプレーを向上させていきます。トレーニングに意志を持って、より良い結果となるために考えて、試合に繋げていきます。

一方で、基本動作のみを学習したら、試合の中でより良い結果を導き出せる選手もいます。

 

 

一般的には、意識してプレーする事が良しとされている部分が多いと思いますが、意識しない方がより良い結果を出せることもあります。そして、無意識にプレーできる選手を「天才肌」として切り分けている人もいます。

 

 

以前にも話した通り、運動能力の遺伝は科学的にも証明されているものです。その遺伝は、必ずしも「遺伝=無意識のプレー」だということではありません。もちろん、遺伝の中にその無意識が含まれている事もありますが、運動能力が高くても専門競技において必ずしもより良い結果を導くとも限りません。

 

 

 

目的への無意識

 

ただ、この遺伝と無意識には、共通点として「ベースの高さ」があります。遺伝は、遺伝的に身体能力が高さや習得速度の速さなどがあります。無意識には、意識的にパターン化して学習を繰り返さずとも無意識的により適切な出力ができるなどの、僕のような凡人とスタート地点が違うという事です。「感覚」として伝えられることもありますが、基本から応用へのプロセスを積み重ねるのとは反対に、応用から得られたプロセスを説明するのは非常に難しくなります。

 

 

無意識でプレーができる選手は、より多くの状態と状況の中でプレーすることで、さらにより良い結果を生み出す事が出来ます。しかし、意識する事で「無意識」に結果として良くない影響を及ぼすことがあります。

 

 

逆に意識的にプレーする選手は、より多くの学習を繰り返して段階的に向上する事が出来ます。意識的に無意識に落とし込んでプレーするため、学習と出力には瞬間的にも期間でも、時間が掛かります。

 

 

また冒頭に「意識的により良い結果になるため」と書きましたが、これが視点と集中に繋がる話です。どこに意識を向けるかによって、もその結果は変わってきます。例えば、「より上手くなるため」「魅了するプレー」などプレーそのものだけでなく、「家族を養うため」「楽しむため」に意識を向けている人もいます。

 

 

僕自身幼い時には、何も考えずにプレーしていましたが、学習することを覚えたのではなく、学習しなければ階段を登れない事に気付いたからです。

どちらにしても、「意識」「無意識」のどちらも「目的への無意識」を積み重ねていきます。

 

 

そして他人の評価を受け時、「サッカー馬鹿」と言われる訳です。

これからもサッカー馬鹿と言われ続けられる様に、遠い理想と半歩先の自分のスタイルをイメージしながら無意識を積み重ねていきたいと思います。