原初舞踏の最上和子さんの念願のワークショップに参加! | 色と祈りと歌うこと - Hidetake Yamakawa (山川英毅)

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自分自身の中に豊かにある深いものに触れて、元気や安らぎを得るのに「色と遊ぶこと」や「自分で歌う」ことが欠かせないない気がしています。
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原初舞踏の最上和子さんの念願のワークショップに参加させていただいた!

 

昨年12月の企画・演出・映像、飯田将茂監督の「妣が国」にて、最上和子さんの舞踏を体験し、お話したおりにもいつかワークショップがあれば是非参加させていただきたいとお話させていただいていた!

 

舞踏家の最上和子さんのワークショップへの参加??ダンスや身体表現でもやりたいの?と普通は思われるかもしれないが、いやいや最上和子さんは、私自身の最も大切な課題のコアないくつかの分野 (仙骨からの発声や存在論の探求など) をも完全に統合して深い示唆に導いてくださる、かけがえのない先達であられる、と感じている。

 

内面性が強く、言葉や思考を大切にされる方々 (表現者というより、内省的、内向的な方々) でも、最上和子さんのツイッターでの言葉の数々を見て頂ければ、響く方にはすごい深さで色々伝わってくるのではないか。

https://twitter.com/walhallahlaw

 

今日ワークショップでご一緒した方々もお二人は、身体表現への関心というより、物質と精神の関係を空間という視点から接合しようとする具体的なイデア論である「ヌーソロジー」からのつながりで最上さんのことを知り、参加されたと言われていた。

 

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今日、身をもって体験させていただいたことは、まだまだ言葉にしつくせない部分もあり、また繰り返し行い次回のワークショップも含めてさらに深めていきたいことが多いので、今日はすべてを深くはふれないが、次のいくつかの切り口からの体験も本当にすばらしかった。

 

・最上さんが常に繰り返し行い、重要なものとして指導されている床稽古。仙骨を正しい位置におさめる予備運動からゆっくりとそれぞれに時間をかけて(10分以上)床にあおむけになり、床の上の脱力の自分を深く体験して、またゆっくりと起き上がるというもの。

 

垂直の軸をバレエのように強引に固めて作るのではないとされながら、やはり仙骨などを重視した垂直軸の確保の重要性が最上さんの指導の中でも核になっているのを知れてうれしかった!歌においても、声帯の引き下げ筋のコントロールや深い声と音程のプライマリコントロールは、やはり仙骨の立て方・感じ方にあることを最近また改めて確信していたときでもあったので、偶然とはやはり思えなかった。

 

・目の前においた湯呑茶碗を10分以上時間をかけてゆっくりと両手で「触れて」持ち上げ、一口飲みもとに戻すスローという稽古。湯呑を対象化して凝視せずに、本当に時間をかけて行うとき、床から口元まで湯呑を引き寄せる距離の長いこと、長いこと!湯呑も通常意識のときよりも大きくなり、別の重さや密度になる。自分だけかと思っていたら、稽古後の分かち合いで、同じようなことやさらに激しい体験をされている方々が多く幻ではなかった(?!)と確認できた。

 

・その他の稽古でも身体を通して内在の領域を確かに体験できたのだが、その意味するところをさらに適宜言語化して共有してくださる最上さんの言葉(「空間が立ち上がる」「その動きは既に三次元にはない」など)によって、ともすると自分の個人的なささいな思い込みかとも思ってしまいがちな体験の細部が、確固たる実存的な体験と認識になって落とし込まれていく。

 

(。。。やはり語り始めるとやめられるず、きりがないです(笑))

 

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今日は飯田将茂監督、コロスなどで前作にも参加されているダンサーの Suiga (翠雅) さん、MC などでもご活躍の Ayako さんともお会いできてうれしかったです!

最上和子さん、皆さま、本当にありがとうございました!

 

プラネタリウムでのドーム映像作品『HIRUKO』上映&トークショーも再演されるそうで、こちらも観に行きたいと思っています!

 

 

 

 

 

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5/22 追記:最上和子さんからもツイッターで励ましの言葉をいただきました!!

 


私からは以下のような返信のメッセージも追記させていただきました。

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最上さん、本当にありがとうございました!!「身体から内在世界が見える」というリアルな体験、これがそれだったのか、という夢でもない実感がありました。最上さんが饒舌に熱情で深く語られる、身体が面白い、が救いのように分かり始めています!

 

また、歌や創作などを行う行為にも連続的に身体はそうした状態にむけて密度を上げて貫入している部分もあったのだと気づき、作品や成果だけではなく、その過程での身体と内在世界の関連を丁寧に観察していくことが結果的に相互を高め、補完するようにも感じワクワクしています!

 

 

 

5/23 追記:以下のような言葉もまた最上さんからお知らせいただきました! さらに色々理解が深まりました!

 

「その通りだと思います。表現でも職人仕事でもなんでも、集中している時には意識してなくても、内在世界に突入しています。身体でそれをするのは、道具が存在しないために、原液=エキスの状態なので、ふるさとに立ち戻るようにそこに立ち戻る、そういう場所だと思います。いつもエネルギーをくれる場所」

 

 

 

そしてもまたまた、下記のようにも返信を感謝と共にまた書かせていただきました!

 

「最上さん、頂いた言葉がまたすごい理解と確信の支えになります!最上さんが言葉を通して身体に落とし込むことを重視される理由もさらに実感でき、シュタイナーなどが肉体がメタ化される霊的な領域でも唯一のよりどころとして思考(=言葉?!)の重要性を書いてたことなんかも思いだしてます。。

 

それにしても、最上さんが他者にこのように道を開示できるようにお一人で模索されてきた膨大な歩みの重さ、(よく語られている)独りでされてきた苦悩の遠大さをさらに実感として感じ始めています!分かち合っていただけることへの感謝と敬意はつきません!!本当にありがとうございます!」