親友たちとの再会! | 色と祈りと歌うこと - Hidetake Yamakawa (山川英毅)

色と祈りと歌うこと - Hidetake Yamakawa (山川英毅)

自分自身の中に豊かにある深いものに触れて、元気や安らぎを得るのに「色と遊ぶこと」や「自分で歌う」ことが欠かせないない気がしています。
色・音の作品や「発声法」などについての気づきもシェアしていきます。

中高の親友、大学哲学科の親友、同い年の従兄弟、同い年の4人で本当に久々の再会!!楽しかった!!

大学生の頃は全員でよく夜通し語り明かしたり、色んなことをしたものだった。

 

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中高の親友は、学年でも短距離が一番、二番に早く、体育祭でも大活躍、バスケ部のレギュラー重鎮、なのに超文学的・言葉志向の男で、同級生からは当時の眼つきの鋭さと寡黙な雰囲気から「ゴルゴ」(?!)と恐れられていた 。国語の教諭として活躍している彼の今の柔らかな物腰とやさしい語りをきいたら多分、当時の同級生たちはきっとびっくりすると思います(笑)

 

 

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大学哲学科の親友とは、当時私たち二人のみで、中世哲学担当の教授の研究室に属して、彼は絵も描くし、音楽もやるのであらゆることで最初から意気投合した。シャイでニヒルな語り口と、毒舌じみた言い回しで本質をつく鋭い発言をする。そんな男なので英語の教諭でありながら、本音と本質で生徒に寄り添ってるんだろう、随分人気があるみたい。

最近、アウグスティヌスやトマスを読み直している話は事前にしてたから、彼が話の糸口で持ってきた本や言葉にも色々今必要なヒントをもらえた。

 

(たとえば、山田晶先生のアウグスティヌス「告白」が、とんでもない名訳であることに私は最近改めて気づいて感動していた。トマスの機能的な飾りのないラテン語に比して、弁論術、修辞学にたけ、ヴェルギリウスのアイエネースなどのギリシャ語の美文に魅せられていたアウグスティヌスのラテン語には、韻文的な美しさがあり、しかし、それを日本語訳に反映させるのは、そもそも不可能だろうと私は思っていて、山田晶訳もまともに読んだことがなかったのだが、今更ながら驚いた。彼は彼の方で山田晶訳のトマスで最近深い気づきを得ていたらしく、この年になったからこそ本当の意味で理解が始まったと思える内容が重なりあって、ちょっとしたシンクロニシティも感じた)

 

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いずれにしても、二人のような先生と出会えた生徒さんたちは、かけがいのない多感な10代に決定的に豊かな深い示唆 (や救い) を体験をしているんだろうな、と思った。

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写真家の従兄弟、渡部信光は、写真を担当した酒井しょうこさんの美しい2冊の本を二人に紹介していた!ヨーロッパでの取材撮影で撮れた彼自身も会心のショットと思っている何枚かを二人に紹介して彼らもとても感動していました!

やっぱり色々話足りなさ過ぎて(笑)、次回を楽しみにしています!