ひでさんの秘宝館

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日々、自分の関心のある事項について、思いついたことを書いております。

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今日深夜、テレビで映画「バブルへGO!!」が放送されていたので、三年前の2007年2月23日、この映画を映画館で観た直後に書いた日記を再録してみました。

月日の経つのは早いものですねぇ。気がついたらこの文章を書いてから三年もの月日が流れておりました。

映画内で広末涼子演じるヒロインは過去にタイムスリップしておりましたが、私は2007年から2010年の自分の誕生日まで、未来にタイムスリップしてしまったのでしょうか。

それはともかく、日記を書いた当時と私的な環境は激変しておりますが、この映画を観て感じたものは今も変わっておりません。

良かったら、また読んでみてください。

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今日近所の映画館で、「バブルへGO!!タイムマシンはドラム式」なる映画を見てきました。
ストーリーは、バブル景気の絶頂と同時に崩壊が始まった1990年に、広末涼子演じるヒロインが2007年の現在から、現代の日本が抱える経済問題を解決するためにドラム式洗濯機型タイムマシンでタイムスリップすると言う内容です。

彼女は1990年にタイムスリップした後、バブル景気の真っ只中の東京の街を彷徨い、ディスコや豪華客船上でのパーティなどを通して当時の風俗を観察します。
17年の歳月の経過が、わずかなようでいながら、無視できない変化を社会にもたらしていることを感じ取ります。
あるシーンでは、ファッション雑誌のスカウトマンが彼女を街頭でスカウトした際に編集部までの足代として当たり前のように万札を渡していたり、タクシー待ちの客は一万円札を何枚も振りながらタクシーを呼びとめていたりして、現在の金銭感覚では異常とも思えるような振る舞いが、当時では当たり前であるかのように描かれています。もちろん、映画のための誇張もあるでしょうが、当時にはそういう風潮が少なからずあったものと思われます。

1990年という時代設定は、1945年あるいは1867年と言った年とは異なり、当時18歳の若者として生きていた自分にとって、まったく無関係な時代とは言えません。身近な経験で言うと、その時代の影響といえば、工業高校を卒業して就職する際、大手企業からの求人が今現在の水準では考えられないほど多く、よりどりみどりであったことでしょうか。映画の中に登場するような、ディスコや豪華客船上で連夜の如く浮かれ騒ぐような真似をした訳ではありませんが、知らないうちにその恩恵を受けていたのでしょう。

で、バブル景気はなんであったのかという問題になります。
思うに、無限の経済成長という幻想にリアリティがあり、お金の魔力に人々が酔い痴れていた時代であったと思うのです。
ヒロインの広末涼子が、豪華客船上でのパーティで200万円もの大金を手に入れ、高揚した気分でシャンパンを飲み干し、酔い潰れてしまうシーンがあるのですが、まさしくこのシーンがバブル景気を象徴しているように思えてなりません。

乱暴な言い方をすれば、バブル景気とは、すなわち酒酔い状態であります。
酔いは日頃の憂さを忘れ、非日常に連れて行ってくれる面があるので、かならずしも悪いものとは言い切れませんが、度を過ぎると人間を中毒にし、潰してしまいます。
そういった意味では、バブル崩壊は良かったことなのでしょう。お金の魔力から目を覚まし、人々がお金の他に本当に価値があるものとは何か考えされられるきっかけになったのに違いありません。

映画のラストは、ヒロインと彼女をとりまく人達の活躍で、バブル景気の崩壊を食い止めたが故に、現在の経済問題も解決され、バブル期以上の発展を遂げていると言うオチになっていますが(なんとレインボーブリッジが三本も東京湾に掛かっている有様です)、これには少なからず疑問を感じました。
むしろ、バブル景気は崩壊したが、景気とは無関係な、本当に価値があるものは何かと考えさせられるような、少々ビターな結末の方が良かったような気がします。いわば景気向上や衰退とは無関係な第三の道の模索です。

長々と書きましたが、全般的には微妙な懐かしさを感じさせる90年代を描いた、いい映画だと思いました。暇があれば一度映画館に足を運んでみてはどうでしょうか。

公式サイト
http://www.go-bubble.com/index.html
今日、テレビのニュースを観ていると、北海道の街中にヒグマが出現し、親子二頭で道路を横断している写真が写されておりました。

本州のツキノワグマのみならず、遥かにデカいヒグマまで遂に「街中デビュー」したことに軽いショックを覚えてしまいました。

今年の猛暑の後、イノシシやニホンザル、ツキノワグマに、今回はヒグマと、ついにボスキャラ(?)とも呼ぶべき国内最大級の猛獣が出現したようです。

アニマル界では、「街中デビュー」がブームなのでしょうか。

北海道のヒグマは小学校の近くまで接近したようですが、本来クマはぬいぐるみなどで愛すべきキャラクターとして扱われているので、

「わーい、くまのプーさんの本物、キターーーー!!」m9(^Д^)プギャー

とか、

「ハニーポットを用意しなきゃ」( ゚д゚)ポカーン

などと、小学生の間でほのぼのとした会話はなかったろうかと、妄想しております。

残念ながら、現実には、日本各地の街中デビューしたクマはすべて射殺という、殺伐として身も蓋もない結末になっており、個人的にはかなり胸を痛めております。

むしろ、クマを投げ飛ばしちゃったり、屈伏させ服従させたりした金太郎ばりの猛者が日本の何処かに出現したりしたら面白いのになぁ…。

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※画像はイメージです。
今日見てきたと言っても、予告編と脳内に残っていた原作小説のイメージだけです。

本作の公開は今年末の12月11日からなので、話題が先行している感があります。

原作の方は、私が高校生時代、出版と同時にベストセラーになって世間を賑わせ、恋愛ものと評される小説にそれまで全く縁のなかったのに、初めて読んでみようという気分にさせてくれました。

純愛とそれに伴う「喪失感」を描いた作品という触れ込みなのですが、個人的な印象としては、村上春樹の淡々としていて、独り言めいた文体からは、何かを得て喪失した悲しみというよりも、切実に何かを得ようとしても、決して手に入れることが出来なかった時の、もどかしさが入り交じった悲しみのようなものを感じた記憶があります。

なぜなら、主人公が作中で深く恋したヒロイン直子は、主人公の思いに応える前に自死によって永遠に去ってしまったのだから、喪失を手に入れたものを失うことと定義するのであれば、手に入れすらしていないのものを失ったというのは思い違いであって、喪失というのは当たらないと思ってしまいました。むしろ、疎外感とかと表現すべきではないのかと…。

主人公はヒロインと肉体関係を結んでおきながら、心を通わせられなかったことに自責と痛切な後悔のような感情を抱いています。ならば、最初から相互の愛など無く、主人公は最初からヒロインの心の深くを掴んでなどいないのです。それを喪失したと表現するのは勘違いも甚だしいのでは…。

このような屁理屈のような愚考はともかく、艶やかな赤と緑の表紙に金色の帯で美しく装丁された上下巻の初版本は、今でも実家の本棚を飾っています。

この本自体の思い出としては、伯母が入院していた時に無聊を慰めるために貸したことがあって、しばらく自分の手元に無かった時期がありました。

その後、伯母が闘病の末亡くなったので、両親が遺品を整理したのですが、遺品の中から見つけ出されて、また私のところに戻ってきました。

その出来事の方が、私に喪失感を抱かせました。もう、この本を読んでいた、あるいは読もうとしていた伯母はもういないんだと…。

個人的な思い出はともかく、映画の方も原作のイメージを忠実に映像化しようとした意欲作のようです。同名のビートルズの切ない楽曲に乗せて…。

もともと、原作の登場人物が、客観的、写実的というよりも、主観的な印象で表現された作風なので、配役については、外見的なものよりも心理的な部分に重点がおかれるべきであり、出演者の風貌がイメージと異なっていても仕方が無いことなのですが、予告編の動画を見る限り、なかなかいい線を突いているのではないかと思った次第です。

年末の冬、また観に行きたい映画が出来たようです。