動物を殺して食べるのは、可哀想だという人がいる。


では、植物に意思や表現は無いのかと言えば。


あります、動物のように鳴かないだけで。


世の中、不確かな情報を垂れ流して稼ぐ人もいます。


どちらか寄りに、持って行きたがる人も。


「中庸」と言う言葉があります。


簡単に言うと、「ちょうど良い」でしょうか。


仏教用語だったかと。


マニュアル通りにこなして、何が悪い?


そう思っている人には、わからないかも知れません。


学歴や偏差値が、人格や価値観、生き方の根本を支配するでしょうか。


いえ、リニアに難癖つけて辞意を表明したどこぞの知事は。


ご大層な学歴のようですが。


失言のてんこ盛りにて、人としては尊敬できるでしょうか。


さて。


もう、80くらいのおばあさんと毎年共同作業をしています。


毎年、「もう年だ、無理かな」を聞きます。


ですが、当たり前のように難しい事をこなしています。


芽出しの先生です。


よく見ること。


どうやら、種籾と会話しているようです。


暗黙知です。


元来日本人が体得していた知恵です。


コツです。


勘所です。


この、一件曖昧な表現ですが。


そんなことより、何度の水に、どのくらいの時間なのか教えてくれ。


そんな単純な事ではないのです。


気温は変えられませんから。


朝起きたら、身体の中心に軸ができておりました。


私も、シャンとしてきたのかなと。


いえ、ただの筋肉痛でございました。


芽出しと燻製は、似ています。


答えがないから、面白い。


満点は無いから、慢心もしない。


よって、偉ぶる心もない。


これが、中庸です。


ちょうど良く。


そう言う生き方です。