いつもの食堂。


なぜ、銀河ラーメンなのかはあえて聞いていない。


で、久々のオムライス。


客の要望により、献立は増えて行ったと言う。


で、この食堂に縄文大国青森と言う本があり。


単純に、遺跡と言うよりは民俗学目線で考えるようにしている。


つまりは、今の当たり前の生活に人々の暮らしと言う連綿性があると。


我々の祖先が一人でも死んでいたら、自分と言う存在は居なかったこと。


さて、ある過去の記事を思い出したので紐解いてみます。


北海道の縄文遺跡から発掘された、人骨。


小児麻痺であった可能性が高いと。


昔の通説では、縄文人は狩猟をしながら移動生活していた、進んでいない生活体系だと言われていた。


小学生の頃、親戚の田んぼから土器が出てくると聞いて、ザクザクに掘り起こした事がある。


その頃は、コメが作られなくなるから掘るなと言われ、叱られた記憶がある。


だが、次々と新たな遺跡が発掘され。


特に山内丸山は、それまでの常識を覆した。


障害者を見守り続けるためには、定住生活であった必要がある。


あるいは、社会的弱者を介護しようとする思いやりの心も。


この辺の考え方が、民俗学目線。


つまりは、困っている人は助けたい。


命を粗末にしない。


そう言う、社会福祉の考え方は縄文時代からあったと言う事。


私は教員時代、虐待案件を数多く扱って来た。


子を持つ親として、胸の痛む思いも何回もした。


実話を一つ、添えておきます。


ある日、部活が終わってひと休みしていた時の話。


一人の生徒が、「先生、何か食べ物ありませんか?」と。


顔色が悪かった。


話を聞いた。


聞くと。


・母子家庭

・母親はうつ病

・ご飯を作らなくなった

・泣きながら、仏壇に向かってお経

・ご飯を家で食べていると包丁を持ち出して向かいに座る

・怖くて、友達の家を転々としている

・ほとんど、カップ麺の食生活

・でも、学校も部活も辞めたくない


私は、「じゃあ、昼ご飯一緒に行こう」と誘ったが。


何もしていないのに、それじゃあ…


それが、精一杯の自分の尊厳を保つための虚勢だと言うことは言わなくてもわかる。


そこで、提案した。


「じゃあ、温泉に行こう。最近肩が痛くて、背中に手が届かない。」


「背中を流してくれたら、そのお礼にご飯をご馳走するよ。」


これは、私の優しいウソ。


人は不思議で、お互い裸になるとウソをつかない。


色々話をして、提案もして。


涙ぐみながら、白飯を頬張る生徒。


今も、どこかで元気にしているだろうか。


まとめます。


私たちは、日本文明における遺伝子の。


生き残りです。


誰かが、言いました。


「生きているだけで、丸儲け」と。


悩んでいても、今が苦しくても。


それは、あなたに始まったことではない。


今日を生きている事に感謝。


そう言う根本的な考え。


何が、当たり前なのか。


縄文人に、学ぶことはたくさんあると。


ふと、そう思いました。