人は、何のために生まれ、如何にして死ぬか。
昨日、ヤーさん宅に泊まり、どう生きるかの話になり。
何を、どうしたいのか、禅問答。
私、思う。
生きる意味は、生きた後からついてくるもの。
つまり、それがレールを辿ろうとも、薮を切り拓こうとも。
先達の言葉が、雄弁に語り。
なんだろう、例えば腹を割って話ができる人がいて。
肩の荷が降りる気がして、熟睡できる、久しぶりの感じ。
かつての、職場に行き、忘れ物を引き取り。
引き継がれていない事への、憤りもあり。
別に、それも世の常。
自分だけが、世の中心軸ではないし。
正しさなんて、十人十色。
帰りがてら、立ち寄ったラーメン店。
値上げ。
いや、文句じゃない。
老人と、多分孫。
ヤーさんと、出汁の話。
例えば煮干し。
姿はないが、居るには居る。
次世代の主人であろう若者は、煮干しの頭とはらわたを、ひたすらむしっていた。
面倒だが、そうしないと出ない、味がある。
それも、人生。
とある神社と、京都大学にしかないと言う、孔雀柏の木。
種子を貰い受け、実生から育てた。
大きく、なっていた。
時間は、平等に時を刻む。
優美でもあり、時に残酷でもあるが。
私なりに、刻んだ時もあり。
それが今の私を、かたどっている。
空海が、道標を照らし。
ハンナアーレントが、またそれを解く。
生まれて、いつか死ぬ。
そして、私は書く。
学生時代虜になった、山頭火を。
幼くして母が自殺。
頭が良く、早稲田に進学するも、病気で中退。
家業は、事業に失敗。
父は蒸発。
弟は、借金苦により自殺。
結婚し、子を授かるも、離婚。
生きるに価値なしと見たか、山頭火。
泥酔し、市電の前に立ち塞がる事件を起こす。
自殺未遂とも、言われている。
しかし、そこから救われて。
寺に入る。
行乞と言い、食べ物の施しを受けながら7年過ごして。
型に捉われない、名句を数多に残す。
酒に溺れた人生でもあり、疎まれる僧でありながら、高く評価され。
草庵で、また7年過ごす。
酒は肉体の句で、句は心の酒だと話す。
彼のもとに、人が集まる。
ある日の句会、山頭火は隣の部屋でイビキをかいており、また酒に酔い、寝ているのだろうと思われたが。
脳溢血だった。
享年57。
辞世の句は、「もりもり盛りあがる雲へ歩む」。
とりあえず、今日も私は生きている。
何を探すか。
海風爽やかな八戸で。
私も、風の中を歩く。
生かされているのかもしれない。
ヤーさんとは、共感した。
内助の功があり、自分があると。
私、思う。
なぜ山頭火に惹かれたか。
前に進むしかない人は、後ろを振り向かない。
かつての私、だが。
私は、一度立ち止まり、見直した。
また、歩こう。
答えは、きっとあるようで、ないよ。
山頭火は、自分の句が。
現代まで、これほど愛されるなど、思ってはいなかっただろう。
彼も悩みながら、歩いたんだろうから。
だって、分からないもの。
生まれると死ぬは、一回限りなのだから。
泥にまみれても人生。
靴を履かず歩いても人生。
向かって人生逃げて人生。