世の中を見渡せば異口同音に「人間は成長が大切」と思っている人が実に多い。
多いどころか完全にそういった思考が身についてしまっている。
それは、もう何かの宗教に帰依するみたいに、気持ち悪いくらい世間に浸透している。
そして、不思議なことに誰もそのことについて異論を唱える者はいない。
ところで、そもそも人間が成長する意味って何なのか?
断わっておくが、ここで言う成長とは肉体的な意味ではなく精神的な意味である。
まあ、そんなこと言わなくても分かると思うが(笑)。
今日、何気にテレビを観ていたら、ある女性の波乱万丈な人生が紹介されていた。
高卒後に水商売の世界に入り、銀座のホステス№1まで上りつめた。
そして、20代半ばという若さでその店のオーナーに。
その後、幾多の試練があり挫折も経験したが、不屈の精神で這い上がり、現在はカウンセリング業を開業してアメリカ人男性と結婚してハワイに住んでいるという。
私はこういう人のことを素直に尊敬する。
素晴らしいバイタリティではないか。
どんな苦難にもめげず、自分のやりたいことをとことん追求させ、ついには実現させてしまう。
そして、“かつて”は自分もこうありたいと思っていた。
そう、“かつて”はだ‥。
世間一般ではこういうことを人間として成長するという意味に捉えているのだろう。
そして、こういう人間になりたい、とまるで人生の師範のようにこうした人物をもてはやしている。
いや、それは別に批判的な意味で言っているのではない。
何度も言うが、私はこういう人は魅力的で尊敬するし、それに対して批判するつもりは毛頭ない。
しかし、誰もがこの人と同じような人生を歩めるはずもない。
人間hそれぞれ生まれ持った“資質”があり、その資質に沿った生き方をしているはずだ。
このテレビで紹介された女性は、いうなればその資質に従って人生を送っているに過ぎないのではないか。
しかし、世の中はこうした人生を尊いものともてはやし、ある種の根性論にも似たバイタリティを発揮する人生こそが相応しいという風潮がある。
そして、それこそが人間にとっての“成長”なのだと‥。
これを書いていてふと思い出したことがある。
私の所属している某NPO法人のことであるが、毎月送られてくる会誌を読んでいると、“人間的な成長”という言葉が何度も登場してくる。
もっとも、このNPO本陣は不安、対人恐怖といった神経質的な症状を乗り越えるには“人間的な成長”が必要不可欠と説いているようなものだから無理もない。
つまり、神経質の症状を克服するには、人間的な成長が必要なのだと。
たぶん、私が誤解している部分もあるかとは思う。
しかし、この会にはそうしたカラーみたいな特色がいやが上にも目についてしまうのだ。
少なくとも、私の目には。
そして、その“人間的に成長する”ことの意義は、もちろん先に紹介したテレビ番組に登場すた人物を目標に置いていることは間違いない。
ただ、程度の差はある。
何もこの女性のように波乱万丈な人生を送って、自ら人生の道を切り開けというのは酷である(笑)。
しかし、本質的にはあまり変わらないのではないかと思う。
それは、自ら行動を起こして“人間と的な成長”を促すという意味においては‥。
長くなってしまったので、続きは「人間が成長する意味って?~その2~」で改めて書き記したいと思う。