ちょっと長くなりますが、
最初から書きます。
3月8日土曜の、夕方5時ごろのこと。
父と母は、母の運転で自宅に向かっていました。
あと5分で家につく、というあたりで、
母は異変を感じたそうです。
何かを話しても
呂律が回らず、
意味不明のことを言うだけで
会話が成り立たない。
車が家について
僕が母に呼ばれました。
「お父さんがなんか変だから来て」と。
父はシートベルトを自分で外すこともできず
口からはよだれがだら~と垂れています。
母がシートベルトを外すと
父は自力で立ち上がり家に入りました。
僕が話かけても
やはり呂律が回っておらず
会話にならない。
言葉がうまく出てこず、
出てきても意味不明な感じ。
え?これ救急車か?
だれでも思いますよね?
その後、10分ぐらいすると
(多少会話のテンポが
今までよりとろい気がするけど)
元に戻って会話も成り立つようになりました。
「さっきのはなんだったんだ?」と
僕と母は顔を見合わせました。
その後、風呂も食事も着替えもトイレも
普通にこなせていたので、
とりあえずその日の夜は
救急車を呼ばずに様子をみることに。
念のため、を考えれば
すぐに救急車を呼んだほうがよいのでしょうが、
救急隊員が来ても
「普通に会話できますね」と
言われるのがオチなので、
救急車は呼びませんでした。
実はその日(8日)の午後は
父にとって一大イベントがあったのです。
僕の父は、作家の吉川英治の
アマチュア研究家です。
うちの近くに吉川英治記念館というのがあって
そこでガイドをしています。
お客さんに吉川英治について
案内するわけです。
僕が思うに、大学の研究者など
「プロの」吉川英治研究者が
何人いるのかわかりませんが
少なくともアマチュアでは
日本で吉川英治に最も詳しい人だと思います。
全集などの作品はもちろん、
吉川英治の担当編集者が書いた本など、
現在、古本も含めて手に入る
あらゆる英治に関する本を読み、
文章にまとめて
近い将来、本にすることを
もくろんでいます。
そんな、70歳以降の人生をかけて
英治研究をしてきた父にとっての
一大イベント。
それは市の依頼で
100人ぐらいの聴衆を前にして
「吉川英治と戦争」というテーマで
講演会をする、というもの。
父はそれのために
一ヶ月前から入念に
準備をしていました。
直前数日は、それに集中しすぎて
こちらが何かを話しても
上の空という感じ。
相当緊張もしているようでした。
そして当日、無事に講演を終え、
帰ってくる車の中で
体調がおかしくなったのです。
今まで張りつめていたものから
解放され、ホッとしたタイミング。
ネットで調べると
過度な緊張による
自律神経の乱れで
言葉が出にくくなる、という記事も
あったので、
そんなこともあるのかな、と
その日の夜は寝ることに。
次の日(9日)。
朝、起きると
父が布団の中で
テレビのリモコンをいじってる。
「何してるの?」
僕が聞いても
「あれが、あれが、あれが、、、」と
また言葉が出てこない。
チャンネルを変えたいのか
音量を変えたいのか、
なにをしたいのか、
よくわからない。
ずっとチャンネル「1」のボタンを押しては
「あれ~、あれ~、、、」と
いぶかしがってる。
その後、僕が
「音を大きくしてみて」と言うと父は
チャンネル「1」のボタンを押す。
僕と母
「やっぱりおかしいよね」
ということで、
とりあえず、救急車を呼ぶか迷ったときに使う
#7119に電話。
が、何度やっても話し中でつながらず。
次に、僕が住んでる市の
「休日診療所」に電話。
ここは何度目かでつながった。
事情を話すと、
「ここでは応急処置しかできないので
市の総合病院に電話してください」と
言われる。
で、総合病院に電話。
再び事情を話すと
「すぐに来てください」
というわけで、
母の運転で父を総合病院に連れて行った。
と、ここまでの文章は
母が父を病院に連れて行った直後に
書きました。
そして今は検査結果が
出てから書いてます。
病院に着き、
問診では「たいしたことなさそう」と
救急担当の内科医から
言われたそうです。
「でも念のためMRIを撮っておきましょう」
ということで検査したところ、
内科医の目からみて
「脳梗塞の疑いがある」
「専門医がこのあと出勤してくるので
そのドクターに判断してもらいましょう」
その後来た専門医の診断も
やはり「脳梗塞」。
なんでも首の血管が
血の塊で細くなっていて
その塊が脳のほうに
流れて行ったのではないか、
ということでした。
一週間ぐらい入院して
手術はせずに薬で治療をする、
とのことです。
僕は病院には行ってないので
上記は母から聞いた話ですが、
薬で様子を見るということは
そこまで重症ではないのかな?
と思う一方、
後遺症とか残るんじゃないか、
という心配もしています。
ろれつが回らなかったり
言葉が出てこなかったりした場合、
吉川英治記念館での
ガイドはもう無理だろうし、
英治研究もとん挫するのでは、と
思っています。
やはり最初に異変を感じた時に
すぐに迷わず救急車を
呼ぶべきだったのではないか、
と今から考えても仕方ないことを
考えています。
それから、これからの僕はどうなるのか。
今は父の扶養家族の保険証を使ってるけど
使えなくなる日が現実に
迫ってきている感じがする。
折り合いが悪く、
嫌いな父だけど、
不思議と「この際死んでほしい」
とは全く思わない自分がいます。
それは自己都合を除いても、です。
とりあえず、少しでも後遺症なく
回復することを願ってます。
それでは、長くなってしまいましたが
最後まで読んでいただき
ありがとうございました。