今さら感が半端ないですが、
池井戸潤さんの「半沢直樹」シリーズの原作本を
二冊読みました。
ドラマは見ていません。


読んだ感想は、、、


びっくりするほど面白くなかった!


読むのが苦痛で、なんとか頑張って2冊読んだ感じです。
なんで面白くないと感じたんだろうか。


たぶん、書いてあることが

小さいコップの中(会社内)の争いごとだから、
だと思います。


作者の池井戸さんと僕とは
人生における興味のある部分が
全く違うんだろうな、と。


会社の上司が「手柄は自分のもの、失点は部下に押し付ける」。
そういうのが嫌なら会社を辞めたらどうでしょうか。
「そんなことはありえない」なんて言わずに
ありえないことをやってみればいいのではないでしょうか。


僕が興味があるのは、
会社を辞めて、金も家族も失って路頭に迷い、
飢え死にの危機に瀕した人が、
次にどのように生きようとするか、
その姿勢に興味があるのです。




半沢シリーズを読んで
なんとなくモヤモヤした気分でいた時、
リリー・フランキーさんのラジオを聴きました。


リリーさんは、2003~2005年にやってた
ラジオ番組を聴いていた時以来のファンです。
この人の発言には、他の人にはない
独特の味わいがあると思っているので、
ラジオ番組をやるとなれば録音して保存し、
繰り返しきいていきたいと思わせる人。


先日の放送で、
「中学生の娘が不登校です」というリスナーからのメールが
読まれていました。


それに対しリリーさんは、


「人としてのスケールが大きくて
学校という枠に収まりきれずにはみ出してる、と
考えればそんなにネガティブにならないんじゃないかな。
それに、学校からドロップアウトすることが
人生からのドロップアウトを意味するわけではない。」


という趣旨の発言をしておられました。


こういう発言を聞くと
「20年近く前に何かを感じて
リリーさんのファンになった自分は間違ってなかった」と
思わせてくれます。


ほんと、おっしゃるとおりで、
(悩みを持ちつつも)学校へ通えたり
会社へ通えたりする人って
学校サイズ、会社サイズの人間なんだと思います。
僕も学校に関しては通っていたので
学校サイズの奴だった、ということです。


そういうのが良いとか悪いとかではなく
そういうサイズの人だ、ということです。


人間、自分にとって都合のいいふうに
考えればよいと思っています。


ならば僕は
「なにか能力が足りなくて学校へ行けない」とか
「なにか能力が足りないから働けない」
と考えるのではなく、
「感受性のスケールが大きいから
社会という枠からはみ出してる」
と考えることにしました。


正しいか間違っているかは
問題ではありません。
というか、勘違いだったり
間違ってて大いに結構。


少なくともこのように考えれば、
もしかしたら今日、明日を
希望を持って生きていけるかもしれない。
自衛の手段として
このように考えることにしました。



・近況


相変わらず首が原因で手がしびれてます。
気になりまくって物事に集中できない。
これは困ったよぉ(泣)



というわけで、今日も読んでいただき
ありがとうございました。